「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
雍熙元年(九八四年)、日本国の僧奝然、その徒五、六人と海に浮かんで至る。銅器十余事ならびに本国の『職員令』・(日本国の)『王年代紀』各一巻を献ず。奝然、緑を衣、自ら云う、姓は藤原氏、父は真連為りと。真連とは其の国の五品の品官也。
(後略)
※ 奝然=東大寺の僧
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豐国は、筑紫の東であり、神代の天御中主から彦瀲尊までの二十三世の都は、「筑紫の日向宮」であり、豊国にあった。
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記紀とは違い、伊弉諾尊の次が素戔烏尊。次が天照大神尊とある。天照大神尊と素戔烏尊は、姉弟ではない。
<神代(天御中主 ~ 彦瀲尊)>
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①
②
ㇾ
二
一
二
一
ㇾ
ㇾ
二
一
<神武天皇 ~ 應神天皇>
③
④
⑤
⑤
⑤
二
一
二
一
二
一
二
一
二
一
二
一
二
一
二
一
二
一
三
二
一
⑥
ㇾ
二
一
二
一
ㇾ
二
一
二
一
二
一
二
一
ㇾ
ㇾ
二
一
二
一
ㇾ
二
一
二
一
二
一
二
一
三
ㇾ
二
一
二
一
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聖徳太子の記述が出てくるが、その注に「(随の)開皇中に遣いを使す」とあり、『 隋書 俀國傳 』の「日出處天子」と称する阿毎多利思比孤では無い。