「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 謎の石造りの地下水路 = 斉明天皇の「狂心(たぶれこころ)(みぞ)

[宮原盆地 謎の地下水路 ・・・ 斉明天皇の狂心の渠]

※ 平成二六年七月二一日(月)講演資料より

宮原盆地 謎の地下水路について

桃坂 豊

 香春町の北部、採銅所井堀付近から瀬戸、通称六十尺鉄橋といわれる日田彦山線の
 第二金辺川橋梁近くまで約四キロに及ぶ石作りの地下水路が存在している事を知って
 いる人は地元においても少ない。

 この地下水路に関しては

① この水路は通称〝吹き出し〟と呼ばれている。

② 数本の水路があるらしいが、代表的なものは宮原の小松氏宅にあり、水量温度
 共に季節には関係なく不変である。

③ 江戸時代に作られたらしいが、はっきりした築造年代は不明である。

④ 何の目的で作られたのか全く不明

⑤ 誰が作ったのか不明

⑥ 始点、終点共に不明

 

■ それは香山の東にあった 
  

 「宮原盆地の謎の地下水路」は、十中八九、
狂心の渠」と思われる。
 とすれば、桃坂氏の江戸時代後期築造説は、
残念ながらおよそ当らない。
 氏が「サイフォンの原理について」で採られ
た江戸期のサイフォン式水路の例、熊本県の
『通潤橋』と金沢の「兼六園」とは、共に詳細
な記録の残る大工事である。
  

 「宮原盆地の謎の地下水路」も四キロメート
ルにも及ぶサイフォン式地下水路でしかも石造
りであるからには、大規模な水利工事であるこ
とは疑いようがない。

 江戸時代後期の築造であるなら、当時の小笠
原藩や香春村に一切記録のないことが却って
不審であり、『通潤橋』と「兼六園」の例とは
明らかに矛盾する。

 したがって、「歴史的な根拠は一切ない」の
がこれまでの香春町における諸考察の経緯で
あった。
 他方、福永は、記紀・万葉に謂うところの
「天香山」を十数年にわたって追究し続け、終に、「香春岳三ノ岳」こそが「天香山」であるとの結論に至った。

 それと並行して、「狂心の渠」を齊明天皇紀の記述どおりに、「香山(かぐやま)の西」に追い求めてきた。が、
かけらも 見当たらなかった。
 それが、柳井さんの一言がきっかけとなって、桃坂氏の「宮原盆地の謎の地下水路」の調査報告に行き当たった。
つまり、桃坂氏は時代の推定を誤り、福永は位置すなわち「香山の東西」を誤っていたと思われるのである。

<『 狂心の渠と吉野宮 』のPage8より抜粋>