倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
      於:小倉城庭園研修室  記紀万葉研究家 福永晋三


「万葉集」巻第三 雑歌(ざふか)

 以下、巻第3・雑歌の「柿本人麻呂」歌

(241番)

 長皇子遊猟路池之時、柿本朝臣人麻呂作歌一首
 并短歌  或本反歌一首

(249〜256番)

 柿本朝臣人麿覊旅(たび)歌八首

(303・304番)

 柿本朝臣人麻呂下筑紫國時、海路作歌二首

(264番)

 柿本朝臣人麻呂従近江國上来時、至宇治河邊作謌一首

(266番)

 柿本朝臣人麻呂歌一首

 以下、巻第3・雑歌の「大伴旅人」歌(71首を歌番号順で示す)

(315番)

 暮春之月幸芳野離宮時、中納言大伴卿奉勅作歌
 一首 并短歌、未奏上

(316番)

 反歌

(331〜335番)

 帥大伴卿歌五首

 (そち):大宰府の長官

(338〜350番)

 大宰帥大伴卿讃酒歌十三首

 以下、巻第3・雑歌の「山部赤人」歌

(322・323番)

 山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首 并短歌

(324・325番)

 登神岳山部宿祢赤人作歌一首 并短歌

(385〜387番)

 (やまひと)柘枝(つみのえ)歌三首

(385番)左注

 右一首、或云吉野人味稲(うましね)柘枝仙媛(つみのえのやまひめ)歌也。但、見柘枝傳、無此歌

(388・389番)

 羈旅(たび)歌一首 并短歌

 右謌、若宮年魚麻呂誦之。但、未作者

 ():声を出して、節をつけてよむ。そらんずる。

「万葉集」巻第三 挽謌(ばんか)

(416番)

 大津皇子死之(みまからしめらしえし)時、磐余池(つつみ)(なみだ)御作歌一首

 磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸

(451〜453番)

 還入故郷家、即作歌三首

(459番)

 天平三年辛未。秋七月、大納言大伴卿薨之時歌六首

 右一首、勅内礼正縣犬養宿祢人上、使護卿病。而醫藥無驗、逝水不留。因斯悲慟、即作此歌

「万葉集」巻第四 相聞(そうもん)

(555番)

 大宰帥大伴卿贈大貳丹比縣守卿遷任民部卿歌一首