倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
於:小倉城庭園研修室 記紀万葉研究家 福永晋三
大伴旅人の経歴/官歴/歌
大伴旅人の記録は、晩年になってからしか出てこない。
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寧楽京:奈良の古称。
旅人は、元明天皇・元正天皇・聖武天皇の御世に活躍した人物である。
ウィキペディアにある「二度目の九州下向」は削除し「大宰府赴任」とした。
「天平2年(730年)11月に大納言に任ぜられて帰京入京する。」の部分は、通説では奈良県の平城京へ「帰京」したとしているが、福永説の平城京は桂川町にあったとしているから「入京」するとなる。
旅人の歌、71首を歌番号順に一覧に示す。その中で講演時に取り上げた「赤字番号の歌」は、詳細ページをがあります。
最初の2首は、巻第三の315番・316番は「暮春の月に芳野の離宮に幸しし時、中納言大伴卿の勅を奉りて作れる歌一首(并せて短歌、いまだ奏上を経ざる歌)」である。
次の331番から335番の5首は、「大伴卿の歌五首」である。
巻第三の451番〜453番の3首は、「故郷の家に還り入りて、即ち作れる歌三首」である。
巻第四の555番にある「安の野」は、安野村(現筑前町)である。
『万葉集』巻第五の「梅花歌卅二首并序」の中にある822番が、旅人自身が詠んだ歌である。
『万葉集』巻第六の960番は、北九州市に関わった歌であった。