倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
      於:小倉城庭園研修室  記紀万葉研究家 福永晋三


 豊の国万葉集④ 大伴旅人
(令和4年12月14日 於:小倉城庭園研修室)

 「 梅花歌(序文、822番)、還入故郷家即作歌、他 」の動画の内容を掲載したページです。

 「万葉集」巻第四 相聞 555番 (「(やす)の野」は現在の筑前町である)

 「安の野」は安野村(現筑前町)
『万葉集』巻第四 相聞
 大宰帥大伴卿贈(だい)()丹比(たぢひの)縣守(あがたもり)卿遷任民部卿歌一首

*1

 為君 醸之待酒 安野尓 獨哉将飲 友無二思手

555

 君がため 醸みし待酒(まちざけ) (やす)の野に ひとりや飲まむ 友なしにして
 貴君と飲み交わそうと醸造してとっておいた酒も安の野で一人で飲むことになろう。友がいなくなってしまうので。

*1

 大貳(だいに):大宰府の次官の一つ。「少弐」の上位。

 巻第四の555番歌に出てくる「安の野」は、朝倉郡にあった安野(やすの)(合併し夜須(やす)村⇒夜須町となり、現筑前町)である。
 神功皇后の時代に「熊鷲を討ち取った。我が心すなわち(やす)
」と云ったからそこを名付けて(やす)と呼ばれる地である。

 旅人は、丹比縣守と「安の野」で別れる。何故か旅人は、大宰府から歩いて1日で行くことが出来る平城京(福永説では、桂川町土師にあった)に入ることが出来ない。
 旅人は、天平2年(730年)9月に大納言・多治比池守が薨去した後、11月に大納言に任ぜられ、やっと平城京に入った。

摘図「太宰府〜桂川町」


平城京


大宰府


冷水峠

安の野