倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
      於:小倉城庭園研修室  記紀万葉研究家 福永晋三


※  豊国の万葉集⑬ 巻第二 103番・104番 天智と天武
 (令和5年9月27日 於:小倉城庭園研修室 主催:北九州古代史研究会)

 「万葉集」巻第二 相聞 103番・104番  (赤村大原の大雪を気遣った歌)

 万葉集で、相聞歌となっている103番・104番歌である。

*1

相聞歌」:万葉集で、「相聞」に分類される内容の歌。 男女、または親子、兄弟、友人などの間の恋慕あるいは親愛の情をのべた歌。

 103番歌の中に「大原」という地名が「おおはら」と詠まれてきた。

「万葉集」巻第二 相聞
明日香清御原宮御宇天皇代
(あめの)渟中原(ぬなはら)(おきの)真人(まひと)天皇、諡曰天武天皇
 天皇賜藤原夫人御歌一首
 吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後

103

 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後
 ここ藤原宮に大雪が降った。お前のいる大原の古宮に降るのはもう少し後かな。
 藤原夫人奉和歌一首
 吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武

104

 我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ
 私のいます大原宮の岡に鎮座する高龗(たかおかみ)の神に言って雪を降らせてもらったのよ。その雪の砕けたかけらがそちら(藤原宮=福原長者原遺跡)に散ったのでしょうよ。こちら(大原(おおばる))が先に振りましたわよ。

*2

(おかみ)(淤加美)とは、水や雨雪を司る神のことである。山峰の雨を司どるのが、高龗(たかおがみ)。谷の雨を司どるのが、闇龗(くらおがみ)(「くら」が「谷」を意味している)である。

 高龗神は、日本書紀に記されている水神様であり、貴船神社に祭られている神様である。

*3

藤原夫人(ぶにん)は、鎌足の娘。字は、大原(おおはらの)大刀自(おおとじ)

 行橋市の福原長者原遺跡が、藤原宮跡と思われる。今は正式には、福原長者原官衙(かんが)遺跡と呼ばれ、役所という意味の官衙が付いているが、この遺跡は、地方の役所跡ではなく、明らかに天武天皇と持統天皇が治めた京師の跡と考えている。

藤原宮跡?
「写真(遺構)」
 Ⅰ期の遺構が、飛鳥板葺宮跡。Ⅱ期の以降が、藤原宮跡と推定。

福原長者原(官衙(かんが))遺跡(行橋市)

 壬申の乱の終結後に天武天皇は、舒明天皇が営まれた飛鳥岡本宮に入られた。舒明天皇の子である天智天皇も居られた宮である。そこは、赤村の光明八幡神社と思われる。その後に飛鳥浄御原宮に遷ったことが、日本書紀に書かれている。

壬申の乱後
天武天皇元年((六七二))
 是歳、宮室を岡本宮の南に営る。即冬に、遷りて居します。是を飛鳥浄御原(きよみはら)と謂ふ。
赤村・光明八幡神社

光明八幡神社(赤村)

 飛鳥岡本宮が、赤村の光明八幡神社だとして、その南の地が何処かと考えた時に赤村大原(おおばる)貴船神社の処が、飛鳥浄御原宮と思われた。
 写真の大楠の下に貴船神社の小さな石祠(せきし)がある。また、大原地区の周辺には、7社くらい貴船神社がある。大原の北側にある一つの貴船神社には、天磐船といわれる舟石があり、その石の上にあった(やしろ)を下に下ろした。その(やしろ)の中には、海神(わたつみ)が持っている三叉(さんさ)の矛(トライデント)が祀られている。

飛鳥浄御原(きよみはら)宮跡?
 飛鳥浄御原宮を田川郡赤村大原(おおばる)の貴船神社の地に比定。

「大原貴船神社(赤村)」

貴船神社(赤村)

Google Earth「赤村大原」
赤村大原周辺にある貴船神社
「赤村の舟石」
「トライデント(三つ又の戈)」

舟石(天磐船)の下にある貴船神社(赤村)

 103番歌の最初の「我が里に」の「」には、居住している中心地という意味もあるので、天武天皇の藤原宮の事である。その皇后(のちの持統天皇)と一緒にいる藤原宮(行橋市の福原長者原遺跡)に大雪が降った。
 天武天皇が、赤村大原(飛鳥浄御原宮)にいる藤原夫人に向かって、そちらに雪が降るのはもう少し後になるかなと詠んだ。
 104番歌で、藤原夫人のいる赤村大原の方が、先に雪が降りましたと答えて詠んだ。

 豊前の土地で、海に近い行橋市と盆地の赤村では、どちらが先に雪が降るかと言えば、赤村の方が先に降る。この103番・104番歌で詠まれた内容とピッタリの気象条件である。
 したがって、103番歌の中にある「大原」という地名の読みを「おおはら」ではなく、九州弁の「おおばる」と読み切った。貴船神社が鎮座する赤村大原(おおばる)を詠んだ歌である。