「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 伊予についての記述
・上宮聖徳法王(聖徳太子)が伊予の石湯に来浴したという伝説。石湯=千石挟と思われる。
・天武紀 十三年の「白鳳地震」で「伊予温泉、没れて出でず。」
⇒ 伊予は、伊予の国(道後温泉)では無い。道後温泉は、現在も温泉が出ている。
※ 聖徳太子の正体 蘇我氏は「みやこ」にいた
(平成29年6月3日 みやこ町歴史民俗博物館。4 日 嘉麻市NICO)の講演より
「 天皇家と蘇我氏の歴史⑦ 舒明天皇・皇極天皇 」 より
十一年(六三九) 七月、詔して、百済川の辺に大宮と大寺(所在不明)を造らせる。
十二月、伊予温泉(宮若市千石峡)に行幸。百済大寺(所在不明)の九重塔が建つ。
十二年(六四〇) 四月、伊予から帰り、厩坂宮(所在不明)に滞在する。
十月、百済宮に遷る。
※ 宮若歴史文化講座 伊予の熟田津の石湯
(令和元年6月13日(木)、主催 宮若市の図書館友の会 、於 宮若リコリス(宮若市図書館) )より
講演時のパワーポイント資料は、 こちら のページです。
<所在地のGoogelマップ>