「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 2020年版 神武東征(全5回シリーズ「参」)
(令和二年十二月二十六日、豊の国古代史研究会有料配信)
・・・ こちらが「神武第一次東征」
以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より
八所神社(旧宗像郡吉武村大字吉留字宮尾)
神武天皇天業を恢弘せんと日向の國より船師を帥ゐて東征し給ふ時、遠賀の郡岡の湊に暫く蹕を駐め當郡蔦岳に到給ふに當社の神赤馬に乗り形を顯して人民を指揮し皇軍に従はしめ永く當地の守護神たるべしと誓ひ給ふ。
即ち其所を名付て赤馬の庄と云ふ叉清淨なる地に鎭り座んとて吉き所に留り給ふ故に吉留と云へり、(後略)
※
磐余彦尊(神武天皇)の第一次東征で岡水門に至り軍備を整えたは、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の114年 十一月です。
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