「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 ショウケ越 = 幼少の応神天皇をショケに乗せて山越えした峠

 『帝階八幡神社縁起』には、応神天皇は宇美八幡宮の地で誕生され、福岡市史東区にある香椎宮で7歳まで成長された後に、即位される地となる川崎町池尻へと行幸された。この時に粕屋郡より穂波郡に入る所にある険しい峠を越えた。その峠越えが「ショウケ越」と云われた。

 ショウケ越は、福岡県糟屋郡須恵町と飯塚市をまたぐ峠である。案内標識などにはショウケ峠という表記も見られる。
 ショウケとは、竹で編んだザルの一種である笊笥が訛ったもので、神功皇后が現在の宇美町で応神天皇を出産した際にショウケの籠に入れて峠を越えた事からその名が付いたとされる。

( ウィキペディアより)

 
ショウケ越
ショウケ越
 
ショウケ越

神功皇后の「腰掛石
「ショウケ越」より県道60号線を飯塚市大分方面に少し下った所  

ショウケ越

 <所在地のGoogelマップ>

 県道60号線を「ショウケ越」より飯塚市に下った所。道路脇に神功皇后の「腰掛石」がある。