「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説 (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
中津市
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守実(もりざね) = 神武・東征の地
守実は、『鞍手郡誌』(昭和 9 年発行)に採られた射手引神社社伝によれば、神武天皇の東征に関係する地名であり、その『鞍手郡誌』の編者は、「宇佐から中津に出、山国川に沿うて耶馬渓を登られ、日田付近の守實から五里余の難路を攀じさせられて英彦山の山頂を極めさせられた」と推測している。 また、ここ吉野の地は、応神天皇、斉明天皇とも深く関わりがある。
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吉野の国樔(くず) の地名=玖珠(くす)町、九重(くじゅう)町に関する『日本書紀』の 神武紀(戊午の年秋八月)と応神紀(十九年)の記述です。
狹野嶽(求菩堤山) に通い頭大天狗(豊前坊)及び八咫烏(求菩堤山八天狗)族と同盟を結ぶ間に、 吉野の国樔(玖珠) 部らを巡撫は、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の 118年 です。
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