「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『壬申の乱』 その舞台と経緯

※ 新説 日本書紀(第33回 飛鳥時代④/壬申の大乱)
 (令和5年2月3日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より
 「神功皇后紀を読む会」加来野 英俊氏作成のPowerPointを引用

(15)天智天皇の死の疑義 ・・・ 病死ではなく、入水自殺?

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不破軍
 男依(をより)等、近江の将、犬養連五十()(きみ)および(たにの)(あたい)盬手(しほて)粟津(あはづの)(いち)に斬る。
近江朝
 秋七月庚寅朔壬子((二十三日))に、大友皇子、逃げて入らむ所無し。乃ち還りて山前(やまさき)に隠れて、自ら縊れぬ
※ 扶桑略記第五(天智天皇九年)
 十二月三日。天皇崩。同十二月五日。大友皇太子。即為帝位。生年廿五。一云。天皇駕馬。幸山階郷。更無還御。永交山林。不レ知崩所。只以履沓落處山陵。以往諸皇不因果。恒事煞害

  ※ 天智天皇の入水場所   ・・・   織幡神社(宗像市鐘崎)

 織幡神社の前の海(昔からの自殺の名所) 

写真「織幡神社の前の海(昔からの自殺の名所)」

 織幡神社境内にある武内宿祢の沓塚) 

写真「織幡神社境内にある武内宿祢の沓塚」

 高良大社奥宮(武内宿祢の墓) 

写真「高良大社奥宮(武内宿祢の墓)」
天智天皇の入水自殺
万葉集の証言
 一書に曰はく、近江天皇聖躰不豫御病急かなる時、大后の奉獻る御歌一首
 一四八  靑旗の木旗の上をかよふとは 目には見れども直に逢はぬかも
 山科の青旗のような木幡(織幡神社)の上を御霊は通っておられると目には見えるけれど、もはや直接には天皇にお逢いできないことである。
直に逢ふとは、相觸れる肉體のある人間として直接に相見る事である。 澤瀉久孝)
 大后の御歌一首
 一五三  鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ來る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 邊つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ
(鯨魚取り)淡海の海の遠く沖辺を漕いで来る船よ。沖の櫂もひどく水を撥ねないでおくれ。岸辺の櫂もひどく水を撥ねないでおくれ。(若草の)入水した我が夫のように思われる鳥が、驚いて飛び立つかも知れないから。