「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『壬申の乱』 その舞台と経緯

※ 新説 日本書紀(第33回 飛鳥時代④/壬申の大乱)
 (令和5年2月3日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より
 「神功皇后紀を読む会」加来野 英俊氏作成のPowerPointを引用

(18)天武凱旋 と 飛鳥浄御原宮遷都

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 車駕帰還の途につかれる。伊勢の桑名に宿り給う。
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 鈴鹿に宿り給う。
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 阿閉(あへ)に宿り給う。
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 名張に宿り給う。
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 倭京に到り、嶋宮に御す。
9/15 
 嶋宮より岡本宮に移る。
天武天皇元年(六七二) 
 是歳、宮室を岡本宮の南に営る。即冬に、遷りて居します。是を飛鳥浄御(きよみ)(はらの)と謂ふ。

  ※ 天武凱旋のルート

地図「(18)天武の凱旋ルート」
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※ 18-1)阿閉:海石榴市?
※ 18-2)名張:味見峠の手前?

※ 18-3)飛鳥浄御原宮:田川郡赤村大原の貴船神社の地に比定

<雪の大原

写真「赤村大原の貴船神社」
写真「雪の貴船神社」
天武天皇と大原の里
万葉集の証言
 天皇賜藤原夫人御歌一首
 一〇三  吾が里に 大雪ふれり 大原の 古りにし里に ふらまくは後
 わたしの居る里(新京、後の藤原京=福原長者原遺跡か)には大雪が降っている。そなたの里の大原の旧都飛鳥浄御原宮)に雪が降るのはまだ後だろう。
                (福永の新解釈)
 藤原夫人奉和歌一首
(藤原夫人は、鎌足の娘。字は、大原(おおはらの)(おお)刀自(とじ)
 一〇四  吾が岡の おかみに云ひて ふらしめし 雪のくだけし そこに散りけむ
 わたくしの里の大原の(くら)(おかみ)龍神)に云いつけてふらせました雪の砕けましたのが、そこのあたりに散ったのでございましょう。大原の里に先に降りましたよ。
                (福永の新解釈)