「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『壬申の乱』 その舞台と経緯

※ 新説 日本書紀(第33回 飛鳥時代④/壬申の大乱)
 (令和5年2月3日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より
 「神功皇后紀を読む会」加来野 英俊氏作成のPowerPointを引用

(3)天武の開戦準備(東国へ進発①): 6/24 吉野宮を出発

6/24 
天武天皇
 男依らを召し返すため、大分(おほきだの)(きみ)()(さか)()(ふみの)(みやつこ)大伴(おほとも)(あふの)(おみ)志摩(しま)を留守司高坂(たかさかの)(おほきみ)に、(うまやの)(すず)を乞わせる。不調の場合は志摩は報告に還ること、恵尺は近江へ行き、高市皇子、大津皇子を呼んで、伊勢で合流すること。
 即刻、東国に向けて徒歩で出発
 すぐ(あがた)犬養(いぬかい)連大伴の(くらおける)(うま)に遭遇、天皇は御駕。皇后は輿。
 津振(つふり)で車駕到着。この時までに従う者。草壁皇子、忍壁皇子 舎人(とねり)朴井(えのゐの)(むらじ)雄君(をきみ)、縣犬養連大伴、佐伯連大目(おほめ)、大伴連友國、(わか)(さくら)(べの)(おみ)五百瀬(いほせ)(ふみの)(おびと)()()()(ふみの)(あたひ)智徳(ちとく)山背(やましろの)(あたひ)小林(をばやし)山背部(やましろべの)小田(をだ)()(との)(むらじ)智徳(ちとこ)調(つきの)(おびと)淡海(あふみ)など二十数人。(めの)(わらは)十数人

  ※ 6/24朝 吉野宮~6km~津振川~13km~英彦山峠~18km~莵田吾城  

地図「(3)天武の開戦準備(東国へ進発①): 6月24日 吉野宮を出発」
↑ 柚木ダム方面へ

 ① 吉野宮(若八幡神社)

 ② 津振川(山国町槻木)

写真「吉野宮(若八幡神社)」
写真「津振川(山国町槻木)」

 ③ 英彦山峠 

 ③ 英彦山峠から柚木ダム方面へ 

写真「英彦山峠」
写真「英彦山峠」

(3)天武の開戦準備(東国へ進発②): 峠を越え、吾城から大野へ

6/24 
天武天皇
 菟田(うだ)(川崎町)の吾城(あき)到着。大伴連()()()()(ふみの)(みやつこ)大伴、吉野宮より追いつく。屯田(みたの)(つかさ)舎人(とねり)土師連馬手、従者たちの食事を提供。
 甘羅(かむら)(香春の一部か)を過ぎたところで、猟師二十数人と出会う。大伴(えの)(もとの)連大國が首。全員、供に追加。美濃王を呼び寄せ、供に追加。
 菟田郡家(ほとり)湯沐()の米を運ぶ伊勢國の駄五十匹に遇う。米を捨て、歩者乗る。
 大野犀川大坂):日没で暗く、進行できないので、その村の家の(まがき)を引き抜いて松明に。
 隠郡(なばりのこおり)(隠美濃か):夜半に到着。(なばりの)駅家(うまや)を焚く。
 伊賀郡:伊賀駅家を焚く。

※3-1)屯田:天皇の供御米を作る田。(赤村・我鹿神社所傳古謡集参照)
※3-2)莵田郡家:田原にあったか。その手前東田原から図に示すコースを通り、大坂
         山の上道を通り大野へ至る。

  ※ 莵田吾城~甘羅村経由~5km~莵田郡家~15km~大野(6/24日没)

地図「(3)天武の開戦準備(東国へ進発②): 峠を越え、吾城から大野へ」

 嶋宮  
6/24 日没
上道(旧道)
(✕)
 ↑
写真「大坂山 上道(旧道) 」

 ④ 莵田吾城  ・・・ 右():至嶋宮(大任町島台/安永神社)

写真「莵田吾城付近」
写真「莵田吾城付近」

 ⑤ 田中宮  ・・・ 岩亀八幡神社(田川市伊加利)付近からの現在の眺め

写真「田中宮(岩亀八幡宮)付近からの現在の眺め」
大坂山
竜ヶ鼻
香春二ノ岳
   一ノ岳

(3)天武の開戦準備(東国へ進発③): 横河に 6/24夜半に着く

 大野で日没、暗くて進めない為、村の家の(まがき)を壊して(ともしび)とした。隠郡に至り、(なばりの)駅屋(うまや)
焼く。村中に「天皇、東国に入ります、人夫(おおみたから)諸々出迎えよ」と呼びかけるが、誰も出て来な
かった。

※3-3)隠郡の駅屋:御所ヶ谷峠を越える手前か。(隠郡は、谷間にある)

  ※ 大野(6/24日没)~3km~隠郡~16km~横河(6/24夜半着)

地図「(3)天武の開戦準備(東国へ進発③): 大野~3km~隠郡~16km~横河」
 菟道宮    ●
6/24 夜半着
6/24 日没
なばり

 ⑥ 御所ヶ谷越えと付近 

地図「⑥ 御所ヶ谷越えと付近」
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 御所ヶ谷越え 
(みやこトンネルの出口と旧道)

写真「御所ヶ谷越え(みやこトンネル)出口と旧道」

 ⑦ 横河(長峡川上流)

写真「横河(長峡川上流)」

 横河に至り黒雲湧く。占うと「天
下両つに分かれむ祥なり。然れども
我遂に天下を得むか」と言う。