「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『壬申の乱』 その舞台と経緯

※ 新説 日本書紀(第33回 飛鳥時代④/壬申の大乱)
 (令和5年2月3日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より
 「神功皇后紀を読む会」加来野 英俊氏作成のPowerPointを引用

(5)天武の開戦準備(東国へ進発⑤): 6/26 桑名郡家に宿る

6/26 
天武天皇
 朝、朝明(あさけ)郡の迹太(とほ)(貫川)の辺で、天照大神を望拝。
 益人(ますひと)が(山部王・石川王でなく)大津皇子と共に戻る。
 従者:大分君(おほきだのきみ)恵尺(ゑさか)・難波吉士三綱・駒田(すぐり)忍人(おしひと)・山邊君安麻呂・小墾田(おはりだの)猪手(ゐて)泥部(はづかしべの)眂枳(しき)・大分君稚臣(わかみ)・根連金身・(ぬり)(べの)友背(ともせ)等の輩
 朝明郡家に到着寸前に男依が駅馬で、美濃の師三千人を発し、不破道を塞いだことを奏上。
 郡家に到着後直ちに高市皇子を派遣して、軍を統括させた。
 山背部(やましろべの)小田・安斗連阿加布を東海へ、稚桜部臣五百瀬・土師連馬手を東山道に派遣し、それぞれの軍を起こす。
 天皇、この日に桑名郡家に宿り、そこに留まる。

  ※ 鈴鹿関~2km~ 6/25 三重郡家(朽網)宿~3km~朝明郡迹太川(貫川)~3km~ 6/26 桑名郡家 
 (小倉CC)宿~15km~6/27 不破郡家(合馬) 

地図「(5)天武の開戦準備(東国へ進発⑤): 6/26 桑名郡家に宿る」

 ① 鈴鹿関 ~ ③ 不破郡家(合馬)までの位置関係 

地図「鈴鹿関~不破郡家(合馬)までの位置関係」
② 朝明郡の
 迹太川
③ 不破郡家
写真「不破郡家(合馬)」

 ② 朝明郡迹太川(貫川)

写真「朝明郡迹太川(貫川)」
写真「朝明郡迹太川(貫川)」