「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『壬申の乱』 その舞台と経緯

※ 新説 日本書紀(第33回 飛鳥時代④/壬申の大乱)
 (令和5年2月3日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より
 「神功皇后紀を読む会」加来野 英俊氏作成のPowerPointを引用

(7)天武の開戦準備(東国へ進発⑥): 6/27 行宮を野上に起こす

6/27 
吹負(ふけひ)
 高市皇子より桑名郡家に使者。御所が遠くて連絡が不便。
天武天皇
 皇后桑名に留めて、不破に入り給う。
 天皇不破郡家に到着目前に尾張國(みこともちの)(かみ)(ちひさ)()(べの)(むらじ)鉏鉤(さひち)、二萬の兵を率いて参加。その軍を分けてあちこちの道を塞ぐ。  野上(のがみ)(河内ダム付近)に到るころ、高市皇子和蹔(わざみ)上事役(こうじゃく))よりお迎えに上がる。
 昨夜、近江朝よりの(ふみの)(あたひ)(くすり)忍坂直大麻呂を捕える。磐鍬(いはすき)は逃げ帰った。…
 皇子和蹔(わざみ)に帰る。
 天皇:行宮を野上(のがみ)に起こす。
6/28 
天武天皇
 和蹔(わざみ)にお出でになり、軍事について検査し、考えられる。

  ※ 6/27 不破郡家(合馬)~7km~不破関~4km~野上~5km~和蹔(上津役) 

地図「(7)天武の開戦準備(東国へ進発⑥): 6/27 行宮を野上に起こす」

 ② 不破関付近から野上へ右折 

写真「不破関付近から野上へ右折」
写真「不破関付近から野上へ右折」

 ① 不破宮(合馬)~ ③ 和蹔(上事役)までの位置関係 

※ 東山道は、現中間市・八幡西区から不破関で分岐、河内貯水池を経て八幡東区へ至る道と、合馬を経て小倉南区
 へ至る道の総称。

地図「不破宮(合馬)~和蹔(上事役)までの位置関係」

不破宮
③ 和蹔