「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『壬申の乱』 その舞台と経緯

※ 新説 日本書紀(第33回 飛鳥時代④/壬申の大乱)
 (令和5年2月3日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より
 「神功皇后紀を読む会」加来野 英俊氏作成のPowerPointを引用

(8)壬申の乱:開戦(6/29)

6/29 
天武天皇
 天皇和蹔(わざみ)にお出でになり、高市皇子に命令を下すとともに、軍衆に号令をおかけになった。
 野上に帰還。
 
吹負(ふけひ)
 留守司坂上(あたひ)熊毛(くまけ)と内応を図る。((はたの)(みやつこ)(くま)、1人、2人の(あやの)(あたひ)等)
 近江の使者:穂積(ほづみの)(おみ)百足(ももたり)小墾田(をはりだ)の兵庫で、兵を近江へ運ぶ)を斬る。  
 穂積(おみ)五百枝(いほえ)・物部(おびと)日向(ひむか)―捕えたが、しばらくして赦し、軍中に置く。
 高坂王・稚狭(わかさの)王―軍に従わせる。
 大伴連安麻呂、坂上直(おきな)佐味(さみの)(きみ)宿(すく)()()()等を不破宮に遣し、報告。
天武天皇
 吹負(ふけひ)を将軍にする―三輪君高市麻呂、(かもの)(きみ)蝦夷(えみし)等、大勢の豪傑が配下に―近江を攻撃。

  ※ 6/29 開戦① 近江を攻撃 

地図「(8)壬申の乱 開戦①:6/29 近江を攻撃」

※ 6月26日、近江長津宮より東国の兵を起すべく、韋那公磐鍬等が駅馬を使い不破関に到る所で、
 待ち構えていた高市皇子の伏兵に書直薬捕まる。
 磐鍬一人は山中に伏兵がいるかもしれないと思い、遅れて行ったため捕縛を免れ逃げた。
※ 早くも近江朝の使者が捕まる。