「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 倭国大乱は呉越の戦い⁉
 (令和元年10月6日(日)、久留米大学公開講座(郷土の民俗古代史 2019)より

 倭国大乱は呉越の戦い⁉

■ 伊弉諾尊 銅剣・銅戈の時代

● おのころ島の発見

・・・ おのころ島(於能碁呂島)というのは、「ぽたぁー」と落ちた潮が自ずと凝り固まったから
   おのころ島とうい事は、語源学的に明らかである。

おのころ島の発見
 是に天つ神、諸の命もちて、伊邪那
岐命
、伊邪那美命、二柱の神に、「こ
の多陀用弊流国を修理め固め成せ。」
と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さ
し賜ひき。
 故、二柱の神、天の浮橋に立たして、
その沼矛を指し下ろして画きたまへば、
塩許々袁々呂々に画き鳴して引き上げ
たまふ時、その矛のより垂り落つる
塩、累なり積もりて島と成りき。これ
於能碁呂島なり。(許呂末→頃末)
 その島に天降りまして、天の御柱を
見立て、八尋殿を見立てたまひき。

 

・・・ おのころ島を発見した。「塩許々袁々呂々に矛の(さき)から」とある。何と遠賀郡水巻町に
   頃末という地名がある。「ころすえ」と物騒な名前であるが、水巻町の有名な地名である。
    そこに多賀神社があったから多賀山という山がある。伊弉諾尊が祀られた山がある。

おのころ島の発見
地図「水巻町 多賀山」

 

・・・ 写真でわかるように、円錐形の山である。塩が「ぽたぁー」と落ちたような島である。

おのころ島の発見
写真「多賀山」
多賀山

 

・・・ 考古学的な証拠がある。この多賀山のすぐ近くに立屋敷遺跡がり、そこから、遠賀川式土器が出土
   している。
    豊葦原瑞穂(水穂)国に天孫や天神があちこちに降臨してきている。何代にもわたって、筑豊に
   神々が降臨している。王朝交替があったと考えている。
    遠賀川式土器は、ひょっとして、越の土器に似ているのではないか?

    立屋敷遺跡は、遠賀川が干上がって発掘した時に高床式建物の柱痕跡が出土している。「八尋殿」と
   いうのは、地面から床までの高さが、8尋だという事である。
    高床式建物が、実際に遠賀川式土器が出土した場所にある。これは神話ではない。人間の歴史である。

    呉の人々が、熊本県に。越の人々が古遠賀湾沿岸にやって来たと考えている。当然、筑豊から出土
   される稲もジャポニカ種、長江下流域から来たものである。

弥生前期 遠賀川式土器
「遠賀川式土器」
豊葦原
 瑞穂(水穂)国
「柱痕跡」

立屋敷遺跡  柱痕跡
掘立柱による高床式建物
推定:伊邪那岐命の八尋殿
  

 

・・・ 紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけて、古遠賀湾沿岸から青森県まで到達していると従来の
   考古学でも言われている。
    それが、もっと早まるかも知れません。大事なことは、福岡が中心だという事である。
   「邪馬台国」九州説につながる訳である。

古遠賀湾沿岸の最古の稲作
「遠賀川式土器・遠賀川系土器」
「遠賀川式土器の伝播図」

 

・・・ 東大寺に伝わっていた王年代記が、『宋史』という中国の歴史書に採られている。一番最初は、
   『古事記』と同じ天御中主である。次が、天村雲尊で『古事記』、『日本書紀』とも違う。
    神々の歴史というのは、日本や中国に残された色々な書物を見ていくと、幾通りもある訳です。
   神の順番がもうしっちゃかめっちゃかである。それだけ『古事記』、『日本書紀』は何か都合の
   悪い事を隠したい訳である。

    天村雲尊が、英彦山上宮に祀られている。天御中主も英彦山に居ないだろうかと川崎町で研究
   している。見つかりました。英彦山は、頂上が北岳・中岳・南岳と3つの岳がある。その真ん中
   (中岳)に伊邪那美命、女神が祀られているが、さらにその奥に天御中主という独神がいるのでは
   ないか?丁度3つの岳の真ん中、「あめのみなか」でしょ。英彦山の真ん中のお山の神様だろう。
   女神だろうと密かに思っている。

神代の豊国(筑紫の東)
 宋史 日本國(王年代紀)
其年代紀所 記云、初主號 天御
中主
 。次曰 天村雲尊 、其後
皆以 尊爲 號。次天八重雲尊、
次天彌聞尊、次天忍勝尊、次贍波
尊、次萬魂尊、次利利魂尊、次國
狭槌尊、次角龔魂尊、次汲津丹尊
、次面垂見尊、次國常立尊、次天
鑑尊、次天萬尊、次沫名杵尊、次
伊弉諾尊、次素戔烏尊、次天照大
神尊
、次正哉吾勝勝速日天押穂耳
、次天彦尊、次炎尊、次彦瀲尊
、凡二十三世、並都 於筑紫日向
宮 。

 

● 伊弉諾尊が降臨して治めた日本(やまと)とは

・・・ 『日本書紀 神武天皇紀』の終わりに、伊弉諾尊が自分の国のことを言っている。
    日本(やまと)は、浦安の国。現在、日本で一番有名な浦安は、東京ディズニーランドがある
   千葉県の浦安ですね。入り江が無いと浦安の国というのは、存在しない。
    じゃあ、奈良県は失格である。伊弉諾尊の日本(やまと)の国では無い。古遠賀湾の国が、
   伊弉諾尊の日本(やまと)の国である。

    細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国は、細形銅剣の国。磯輪上(しわかみ)の秀真国(ほつまくに)
   と伊弉諾尊自身が降臨してきて、自分が治めた国を日本(やまと)と読んで、別名を3通りで
   言っている。

    伊弉諾尊の伊弉諾というのは、「いさな」=鯨の古名である。マッコウクジラの歯の装飾品が、
   直方市の天神橋貝塚から出土している。
    昔は、古遠賀湾には、鯨が泳いでいた。「イサナ捕り」の神様かも知れない。

弥生中期 銅剣の時代
 伊弉諾尊
日本(やまと)は浦安の国細戈(くわしほこ)千足(ちだ)る国
 磯輪上(しわかみ)秀真国(ほつまくに)。」
と名付けたとある。
「マッコウクジラの歯の装飾品」

 直方市天神橋貝塚
 マッコウクジラの
 歯の装飾品

「古遠賀湾図」

 

・・・ この資料の井上光貞氏は、「邪馬台国」近畿説の先生である。
   資料に示されているように福岡県は、細形銅剣が多数。奈良県はゼロである。伊弉諾尊がいた所、
   後の卑弥呼がいた所、神武天皇もいた所は、銅矛文化圏に決まっている。
    そのように『古事記』、『日本書紀』に書いてある。私が言っている訳ではない。天皇家が編纂
   した史書にそう書いている。

弥生中期 銅剣の時代
「銅戈・銅剣」

遠賀町公式ホームページ

地図「銅剣・銅鉾・銅戈文化圏と銅鐸文化圏」

 

● 伊弉諾尊が流した涙の中から生まれた「香山の畝尾の本の座す神」の山は

・・・ 伊邪那美命が、迦具土神(カグツチ)を生んだ時に火傷を負って亡くなった時に、伊弉諾尊の
   流した涙の中から「座香山之畝尾木本名泣澤女神」と神が生まれたと『古事記』、『日本書紀』、
   『先代旧事本紀』に書いてある。

    天香山は、『古事記』、『日本書紀』、『先代旧事本紀』に古い時代に金と銅が採れた山だと
   ハッキリ書いている。
    奈良県の天香具山は、金属は何も出ない。香春三ノ岳は、金と銅の両方とも出る。写真は、昭和の
   時代に横鶴鉱山から採れた金である。

    香春岳は、3連山である。三ノ岳(天香山)から一ノ岳に頂上は、畝になっている。畝の尾っぽの
   山の尾()を尾()と読み換えると畝尾山になる。
    奈良県では、永遠に畝尾山は出てこない。『古事記』に書いている畝尾山は出てこない。だから、
   奈良県は、全部偽物である。香春岳が本物だと言い続けている。

 座 香山之畝尾木本 名泣澤女神

写真「香春岳(昭和十年)」