「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
倭国大乱は呉越の戦い⁉
■ 倭国大乱は、手研耳命の暗殺により始まる
● 綏靖天皇から崇神天皇までが、倭国大乱の時代
● 香春町宮原に大きな前方後円墳跡がある
・・・ 香春町の宮原にGoogleマップで、大きな前方後円墳の跡が見られる。この辺りから甕棺が出土した
記録が残っている。前方後円墳の跡の周りに道路とかぶさるように堀らしき跡も見えている。
ここの記録を遡っても埴輪が発見されていない事が、意外と重要である。
・・・ ここの遺跡は、かなり古い。後漢鏡である内行花文鏡が出土している。
邪馬台国近畿説の人たちは、奈良県のホケノ山古墳が一番古いというが、香春町の宮原遺跡
(古墳?)が絶対に100年位古い。
奈良県を基準にしないで、福岡県を基準にすれば、古墳が造られたのはもっと前になる。
・・・ 前方後円墳跡の近くから4基石棺か出土されたそうである。
● 倭国大乱を鎮めるために「倭の国を最初に建てた大物主」を祀った崇神天皇
・・・ 西暦174年に崇神天皇は、即位したのではないだろうか。
ここの記事に大物主が、登場する。
・・・ 神明倭迹迹日百襲姫命が祭ったが、収まらなかったので、次に大田田根子を捜してきて祭らせた。
大田田根子のいた処は、茅渟県の陶邑は、宗像市須恵である。
『日本書紀』にある疫病が終息して、人民が賑わった時に詠われた歌「倭成す 大物主」=
「倭の国をお創りになった大物主」であり、神武天皇が建てた倭王朝の前に筑豊には、大物主が
倭の国を建てていると詠われている。
神武天皇が滅ぼした国で、元から祀られていた神であろう。倭の国の神様を祀る事が人々の幸せに
繋がるという事で、崇神天皇は、諡の通り神様を崇め奉ることしか為さらなかった天皇である。