「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 倭国大乱は呉越の戦い⁉
 (令和元年10月6日(日)、久留米大学公開講座(郷土の民俗古代史 2019)より

 倭国大乱は呉越の戦い⁉

■ 赤村内田にある前方後型地形は卑弥呼の墓

● 理科系の先生の応援による発見された卑弥呼の墓のフラクタル性

発見された卑弥呼の墓のフラクタル性
「地図」

発見された卑弥呼の墓のフラクタル性

小川 進*,谷口幸弥**,桜井貴子,福永晋三
  *空間技術研究所,**長崎大学,

 

・・・ 福永説の宗像が末盧国として、その東南に卑弥呼の国があるとして、流域という考え方が国の単位と
   なる時に、小川進先生が、遠賀川が重要だとおっしゃられた。

 末盧国(福永説)から東南の流域

「地図」

   河川名

流域面積km2

  嘉瀬川
 (南西1000里)

 
 

368

  筑後川
 (南900里)

 
 

2860

  矢部川
 (南1000里)

 
 

620

  球磨川
 (南1800里)

 
 

1880

  大淀川
 (南南東2300里)

 
 

2230

  遠賀川
 (東南500里)

 
 

1026

 

● 卑弥呼の墓は、田川郡内にある直径が140m~150mの円の部分がある墓

・・・ 卑弥呼の都と墓が何処にあるかと言えば、田川説をとっている。神武天皇が即位した場所が香春町に
   ある鶴岡八幡神社(橿原宮)である以上、そこから遠くない位置である。

    魏志倭人伝にある卑弥呼の墓の記述に「大作冢徑百餘歩」=直径百余歩とあり、これが140m~
   150mとなるのは、周里の里と歩の関係からである。
    直径とあり円の部分がある墓だと判る。円墳とは書いていない。「」としか書かれていない。

卑弥呼の都と墓 (田川郡)
女王国
吉野ヶ里以上の環濠集落
香春から遠くない位置
卑弥呼の墓
『魏志倭人伝』「卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」
直径百余歩=一四〇m~一五〇m
※ 神武の橿原宮(香春町高野)と畝傍
 東北陵(おほきんさん)のように
 かなり近い。
※ 田川郡内に発見されれば、福永説が
 確定する。

 

・・・ 田川郡内に発見されれば、確定するという確信まで得ていた。なかなか見つからなかったが、
   一昨年遂に発表をした。

    赤村内田に全長が460mの前方後円型地形が出てきた。ここの直径が、丁度150mである。

謎の巨大前方後円型地形
Google Earth「赤村内田の前方後円型地形」

 

・・・ 左側の後円墳の周りは、田んぼになっているが、池の部分として残っている。右側の写真は、
   南側(前方部)で、池があった。現在は、老人ホームが建てられている。

赤村内田前方後円墳の
後円部の周濠(1975年の写真)

「航空写真」

赤村内田前方後円墳の
前方部の周濠(1975年の写真)

「航空写真」

 

・・・ 造出(つくりだし)部分に当る竹林の現在の所有者の父親が、5~60年かけてタケノコを掘る時に
   土器片に当っている。この土器片を熊本県の調査員の資格を持つ吉田さんという方が、全部調べた結果、
   ハッキリと弥生時代から平安時代までの土器片が混ざっていると言われた。
    土器片が、古墳時代からだと卑弥呼の墓だという事を諦めるが、弥生時代からである。卑弥呼の時代に
   当る。

謎の巨大前方後円型地形
 弥生時代~平安時代の土器片
赤村内田の前方後円型地形から出土した土器片

 

● 垂仁天皇が「殉葬を止めよ」と命じたより前に造られた卑弥呼の墓は、殉葬墓

・・・ 垂仁天皇が、天皇の弟の倭彦命の墓には近習の者を集め殉葬したが、(中略)これを悲しみ、
   以後殉葬を止めよと言ったとある。
    卑弥呼の墓も魏志倭人伝に「殉葬する者奴婢(ぬひ)百余人なり」とある。日本書紀に書かれている
   殉葬と同じである。

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
垂仁天皇
 239年、天皇の弟の(やまと)(ひこの)(みこと)が死ん
だ。
 この時、「近習の者を集め、すべて生
きたまま陵の周囲に埋めて立てた
」とあ
る。
 日を経ても死なない者が昼夜悲しげな
声をあげて泣いた。ついに死ぬと、遺体
が腐り、犬や烏が集まって遺体を食べた。
 天皇は、これを悲しみ、以後殉葬を止
めよと言った。
 『魏志倭人伝』に卑弥呼の墓が記され、
殉葬する者奴婢(ぬひ)百余人なり」とある。

 『垂仁紀』の記事がこれに該当するこ
とは明らかである。

 

・・・ 通説の卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳のフラクタル次元の数値ですが、私にはよく解りません。

箸墓古墳

「写真」
「画像」
「画像」

フラクタル次元

D=1.846

D=1.227

形状係数

f=2.57

 

● 埴輪が出土されている箸墓古墳は、殉葬墓である卑弥呼の墓では絶対無い

・・・ 卑弥呼の墓は、『魏志倭人伝』によれば、明らかに殉葬墓である。垂仁天皇は、その後に殉葬(人)の
   かわりに粘土で、家形、人形、馬形の埴輪(焼き物)を造って、墓に建てるように命じた。
    卑弥呼の墓の後に造られた古墳には、埴輪が建てらてた。だから、卑弥呼の墓には、埴輪が建てられて
   いない。
    先ほど紹介した宮原遺跡(宮原古墳?)からは、埴輪が出土されていない。また、赤村内田の前方後円型
   地形からも現時点では、埴輪が出土されていない。

    奈良県の箸墓古墳からは、宮内庁職員が埴輪を発掘している。したがって、箸墓古墳は、絶対に殉葬墓で
   ある卑弥呼の墓ではないと言っている訳である。

奈良県箸墓は
   卑弥呼の墓ではない
 この時期には埴輪列はまだ存在していない
が、宮内庁職員によって宮山型特殊器台・特
殊壺
、最古の埴輪である都月型円筒埴輪など
が採集されて
おり、これら
が墳丘上に置
かれていたこ
とは間違いな
い。
(ウィキペデ
 ィア)
奈良県の箸墓から出土した埴輪

 

● 赤村内田にある前方後円型地形は、土木工学の見地から人工物

・・・ 赤村内田にある前方後円型地形のフラクタル次元の数値であるが、奈良県の箸墓子古墳とほぼ同じ
   数値である。
    この赤村内田にある前方後円型地形を見つけて発表して時に、田川郡から福岡県庁に至るまで
   皆さんからこれは、自然地形だと言われた。
    しかし、小川進先生一人が、土木工学の見地からこの前方後円型地形は、人工物であると言われた。

DEMとフラクタル

「画像」
「画像」
「画像」

フラクタル次元

D=1.859

D=1.249

形状係数

f=2.53