「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 再発見 新発見 田川 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡
 (令和元年十月二七日(日)、主催 豊の国古代史研究会 、於 川崎町勤労青少年ホーム )より

 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡

■ 戦後史学から脱却せよ! / 九州王朝論と倭国=豊国説

 戦後史学から脱却せよ!

① GHQの占領政策から解放されること。

② 戦後史学の「邪馬台国畿内説」や「大和王朝近畿説」から解放されること。

③ 筑豊・田川の神々を尊重し、筑豊の古伝承を大切にすること。

④ 筑豊の人々が自分と自分の土地に自信と誇りを取り戻すこと。

※ 筑豊が元気になれば、古代史が変わる!

 

九州王朝論と倭国=豊国説

アウフヘーベン(止揚)

矛盾、
ジレン

ジンテーゼ(総合命題)倭国=豊国説
  記紀は豊国中心の史書(倭国~日本国の歴史)   
  英彦山から沖ノ島までの遠賀川流域が倭国
合 神武・卑弥呼・神功・天智は豊国側の王   
  倭の五王と阿毎多利思比孤・天武は筑紫側の王   
  壬申の乱も豊国での戦い

テーゼ(命題)九州王朝論   
  邪馬壱国博多湾岸説   
  記は正しく書紀は偽書   
  神武は奈良県に東征した
正 東鯷国所在不明   
  狗奴国所在不明   
  水沼皇都の比定なし   
  万葉集に九州人の歌なし

アンチテーゼ(反命題)豊前王朝論
  邪馬台国田川説   
  記紀はともに正しい   
  神武は筑豊に東征した
反 東鯷国を近畿に比定   
  狗奴国を火の国に比定   
  水沼皇都を久留米に比定   
  万葉集は九州王朝の勅撰