「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 再発見 新発見 田川 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡
 (令和元年十月二七日(日)、主催 豊の国古代史研究会 、於 川崎町勤労青少年ホーム )より

 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡

■ 神代の豊国(筑紫の東) / 鷹羽の神々

 天御中主が、英彦山中岳の女神で、六月晦大祓(みなづきのつごもりのおほはらへ)に出てくる瀬織津姫(せおりつひめ)
あり、『古事記』や『宋史 日本国伝』に書いている天御中主ではないか。

神代の豊国(筑紫の東)
 宋史 日本國(王年代紀)
其年代紀所 記云、初主號 天御
中主
 。次曰 天村雲尊 、其後
皆以 尊爲 號。次天八重雲尊、
次天彌聞尊、次天忍勝尊、次贍波
尊、次萬魂尊、次利利魂尊、次國
狭槌尊、次角龔魂尊、次汲津丹尊
、次面垂見尊、次國常立尊、次天
鑑尊、次天萬尊、次沫名杵尊、次
伊弉諾尊、次素戔烏尊、次天照大
神尊
、次正哉吾勝勝速日天押穂耳
、次天彦尊、次炎尊、次彦瀲尊
、凡二十三世、並都 於筑紫日向
宮 。

 

 彦御山宝印の中央の神が、天御中主である。

鷹羽の神々
 彦御山宝印 - 天御中主
「彦御山宝印」