「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 再発見 新発見 田川 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡
 (令和元年十月二七日(日)、主催 豊の国古代史研究会 、於 川崎町勤労青少年ホーム )より

 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡

■ 神武東征前史 彦瀲尊まで

 神武天皇は、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)と云われる。神武天皇の父親は、
鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と云う。
 鸕鶿草葺不合尊は、熊本県山鹿市の  吾平山に山陵 がある。明治時代になってから偽物扱いされたが、
鹿児島県にある物よりこちらが本物だと考えている。そこに地元の人が、「みささぎさん」と呼んでいる
吾平山陵がある。

神武東征前史 彦瀲尊まで
通説による神武系図
(延岡の可愛山陵 = ニニギの陵墓
 参考地の看板から借用したもの)
図「通説による神武系図」

 

神武東征前史 彦瀲尊まで
「久しくして彦波瀲武(ひこなぎさたけ)鸕鷀草(うがや)葺不合(ふきあえず)
 西洲の宮に崩ず、因りて 日向の吾平(あひら)
 山の(ほとり)の陵に(はぶ)りまつる。」
写真「吾平山」

 吾平山 

 

神武東征前史 彦瀲尊まで
 吾平山陵(みささぎさん)
写真「吾平山陵」