「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 第12回古代史講座 古代田川を解き明かす
  豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―
 (令和元年八月三日(土)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 香春町町民センター町民ホール)より

 豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―

■ 宇佐八幡の放生会/六月晦大祓/瀬織津姫神の神徳/英彦山の始原の神/かぐや姫の昇天

● 宇佐八幡の放生会

宇佐八幡の放生会
 放生会は、養老4年(720年)の
大隅、薩摩両国の隼人の反乱を契機と
して同年あるいは神亀元年(724年)
に誅滅された隼人の慰霊と滅罪を欲し
八幡神の託宣により宇佐神宮で放生
会を行ったのが嚆矢で、石清水八幡宮
では貞観4年(863年)に始まり、
その後天暦2年(948年)に勅祭と
なった。
 隼人が反乱を起こし、大隅の国司であ
陽侯史麻呂(やこのまろ)を殺したことに端を発す。
 朝廷が、大伴(おおともの)旅人(たびと)を将軍として軍を
率い、隼人を攻めたけれども、隼人を鎮
圧することができなかった。
 僧侶集団のひとり「法蓮」が加わり、(くわし)
男舞(おのまい)
で隼人を誘き寄せ、全滅させた。

 

● 宇佐八幡の放生会を行う場所が、和間浜の浮殿

宇佐八幡の放生会
「写真」
「写真」
「写真」
「写真」

和間浜の浮殿

 

● 滋賀県大津市の佐久奈度神社由緒に中臣金連が六月晦大祓を創作したとある

 川崎町の名前の起こりが、神武天皇が天降神社に来られて「高きを『崎』といい、早きを『川』という、
後の世までこの地を『川崎』とする」といわれたことから名づけられたと伝えられいると川崎町町史に
書かれている。
 それで、ここに書かれている早川書かれているを中元寺川と書いた。

六月晦大祓
 遺る罪はあらじと祓へたまひ清め
たまふ事を、高山・(ひき)山の末より、
さくなだりに落ちたぎつ早川(中元
寺川)の瀬に坐す瀬織津比咩といふ
神、大海の原に持ち出でなむ
 (中略)
 かく失ひては、天皇が朝廷に仕へ
まつる官官の人等を始めて、天の下
四方には、今日より始めて罪といふ
罪はあらじ
 「六月晦大祓」を創作したのは中臣
金連
(のちの近江朝右大臣)で天智八
年(669)のこととされる。
(滋賀県大津市
 ・佐久奈度神社由緒)

 

● 瀬織津姫神の神徳は、百姓(おほみたから)の「災」を「祓う」神徳で纏められる

瀬織津姫神の神徳
敵国降伏の神徳  (新羅征伐)
航海守護の神徳 (宗像大社等)
祈雨の神徳 (杵築市比枝神社)
疫病魔退散の神徳  (欽明紀)
昆虫(はふむし)の災いを除く神徳
        (瀬成神社等)
五穀豊穣の神徳 (闇無浜神社)
機織りの神徳(日本書紀・神代)
百姓(おほみたから)の「災」を「祓う」神徳

 

● 添田町の玉屋窟に残された法蓮上に如意宝珠を授ける龍は、瀬織津姫

 法蓮上人が、玉屋窟で龍から如意宝珠を授かることが描かれている。龍は、瀬織津姫の化身である。

 全国にある牛玉宝印である。「鎮西彦山縁起」の開山説話に基づくと、英彦山のそれぞれの峰には鷹が
住んでいた。
 真ん中の鷹が、今は、伊弉冉の神になっている。したがって、真ん中の鷹は、雌の鷹である。真ん中の
鷹が鷹羽(田川)の土地に仕合せをもたらしてくれる。これこそが、祓の大神、瀬織津姫が彦山の始原の
神ではなかったか。

英彦山の始原の神
「彦御山宝印」
絵「法蓮上人像」

右:法蓮上人(宇佐氏)像
 玉屋窟で龍(瀬織津姫)から
 如意宝珠を授かる

上:牛玉宝印
 「鎮西彦山縁起」の開山説話に基づく

 

● 竹取物語は、最初は田川に起こった物語だと思っている

かぐや姫の昇天
絵「かぐや姫」

Ⓒ酒井好古堂