「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 第12回古代史講座 古代田川を解き明かす
  豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―
 (令和元年八月三日(土)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 香春町町民センター町民ホール)より

 豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―

■ 彦山南麓・吉野の天女

● 天の羽衣伝説

 吉野の天女伝説がある。言い換えれば、羽衣伝説である。

彦山南麓・吉野の天女

Ⓒ古代日本Gallery

 

● 中津市山国町の吉野

 天女の伝説が、山国町吉野に残ってる。壬申の乱の時の吉野宮もこの  若宮神社 であると言い続けている。

彦山南麓・吉野の天女
「道の駅やまくに」の案内板(山国町吉野)

 

● 『懐風藻』の「吉野に遊ぶ」の八首

 懐風藻という、日本最古の漢詩集に「吉野にあそぶ」という歌が八首ある。その八首全部に漆姫、柘枝姫が情に
通じたと男女の出会いの話が残されている。

彦山南麓・吉野の天女
懐風藻
 贈正一位太政大臣藤原朝臣
「懐風藻」(31 吉野に遊ぶ)
「懐風藻」(現代語訳)

 

● 『万葉集』仙柘枝の歌、若宮年魚麿がいた吉野に若宮神社がある

 万葉集に柘枝姫がある。この歌を詠ったのが、若宮年魚麿である。吉野宮は、今は  若宮神社 という。奈良時代に
若宮年魚麿がいたということは、若宮神社の近くにいた。奈良県の吉野には、若宮神社はありません。

彦山南麓・吉野の天女
万葉集 仙柘枝歌
仙柘枝(やまひとつみのえ)の歌三首
(いにしへ)に (やな)打つ人の
無かりせば 此処(ここ)もあらまし
(つみ)の枝はも
「昔ここに(やな)を打って仕掛けた味稲(うましね)
いなかったなら今もここに柘の枝があ
っただろうに」
 右の一首は、若宮(わかみやの)年魚(あゆ)麿(まろ)の作。
巻三(三八七)

 

● 『続日本後紀』 仁明天皇の四〇歳を祝った時の歌が、野馬臺の歌

 この野馬臺の歌は、吉野の天女の歌である。絵は安田靫彦氏の額田王画であるが、身に纏っているシルクの
ストールを毗礼(ひれ)という。

彦山南麓・吉野の天女
続日本後紀 嘉祥二年(八四九年)
野馬臺の歌
日本(ひのもと)の 野馬台(やまと)の国を
 (中略)
吉野に 有りし熊志祢(くましね) 
天女(あまつめ)の 来り通ひて
其の後は (せめ)(かがふり)
毗礼(ひれ) 着て飛びにし
と云ふ
「絵」

額田王画

 

● 彦山南麓の中津市山国町吉野の魔林峡

 魔林峡に天女が降りたという石が残されている。山国町吉野が天の羽衣伝説の発祥した所だと思っている。

彦山南麓・吉野の天女
魔林峡
「写真」