「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 第12回古代史講座 古代田川を解き明かす
  豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―
 (令和元年八月三日(土)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 香春町町民センター町民ホール)より

 豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―

■ 日本書紀中の豊国の織姫

● 宋史 日本國(王年代紀)

日本書紀中の豊国の織姫
 宋史 日本國(王年代紀)
其年代紀所 記云、初主號 天御
中主
 。次曰 天村雲尊 、其後
皆以 尊爲 號。次天八重雲尊、
次天彌聞尊、次天忍勝尊、次贍波
尊、次萬魂尊、次利利魂尊、次國
狭槌尊、次角龔魂尊、次汲津丹尊
、次面垂見尊、次國常立尊、次天
鑑尊、次天萬尊、次沫名杵尊、次
伊弉諾尊、次素戔烏尊、次天照大
神尊
、次正哉吾勝勝速日天押穂耳
、次天彦尊、次炎尊、次彦瀲尊
、凡二十三世、並都 於筑紫日向
宮 。

 

● 日本書記 神武天皇紀の伊弉諾尊

 伊弉諾尊が、「日本(やまと)浦安の国・・・」とあり、海が無いといけない。奈良県は絶対に日本(やまと)
ではない。
 伊弉諾尊が、降りて来た山を発見した。水巻町の  多賀山 多賀神社があった)が「おのころ島」であったようだ。
その近くに立屋敷遺跡があり、遠賀式土器と高床式建物の跡が見つかっている。

日本書紀中の豊国の織姫
伊弉諾尊
日本(やまと)は浦安の国、細戈(くわしほこ)千足(ちだ)る国
 磯輪上(しわかみ)秀真国(ほつまくに)。」
と名付けたとある。
(日本書紀 神武天皇紀)
「写真」

おのころ島(多賀山)

「写真」

立屋敷遺跡 柱痕跡
(掘立柱による高床式建物)
推定:伊邪那岐命の八尋殿

「地図」

古遠賀湾

● 日本書記 織姫殺害事件

 伊弉諾尊が、黄泉国の穢れを落とすために禊を行なった後に出てくる八十枉津日神(やそまがつひのかみ)が、
瀬織津姫神らしい。

 大日孁貴(おおひるめのむち)であるところの天照大神は、やはり織姫様である。素戔嗚尊に殺されている。
 織姫殺害事件である。

日本書紀中の豊国の織姫
 則ち往きて筑紫の日向の小戸の橘の
(あわき)原に至りまして、祓ぎ除へたまふ。
 (中略)
 「上瀬は是太だ疾し。下瀬は是太だ
ぬるし。」とのたまひて、便ち中瀬に
濯ぎたまふ。因りて生める神を、號けて
八十枉津日神(=瀬織津姫神か)と曰す。
 然うして後に、左の眼を洗ひたまふ。
因りて生める神を、號けて天照大神
(=大日孁貴(おおひるめのむち)
と曰す。
(素戔嗚尊)天照大神の、方に神衣を
織り
つつ、齋服殿に居しますを見て、
則ち天斑駒を剥ぎて、殿の甍を穿ちて
投げ納る。是の時に、天照大神、驚動き
たまひて、梭を以て身を傷ましむ
※ 織姫殺害事件

 

● 日本書記 神代上 第五段(一書第十一)、月夜見尊の保食神(織姫)殺し

 明治時代に富岡製糸場で女工達が蚕の繭を口に含み取り出していたことを二千数百年も前からやっていたことが
日本書紀に書かれている。
 保食神(うけもちのかみ)=豊受大神(中元寺の織姫)が、月夜見尊に殺されている。

日本書紀中の豊国の織姫
神代上 第五段(一書第十一)
 天照大神曰く、「葦原中國に保食神有
りと聞く。爾、月夜見尊、就きて候よ」
と。保食神の許に到る。保食神國に嚮ひ
しかば、口より飯出づ。海に嚮ひしかば、
(はた)の廣・鰭の狹、亦口より出づ。その品
の物悉に備へて、百机に貯へて饗たてま
つる。是の時に、月夜見尊、忿然り色を
作し、迺ち劒を抜きて撃ち殺しつ。
 天照大神と月夜見尊と、一日一夜、隔
て離れて住みたまふ。    
(保食神の死体から)眉の上に(かいこ)生れり。
眼の中に稗生れり。腹の中に稲生れり。
 …
 口の裏に蠒を含みて、便ち絲抽くこと
得たり。此より始めて養蠶(こかい)の道有り。
※ 織姫殺害事件

 

● 「はた」と「ひれ」は、どちらも「鰭」がある

 「鰭」は、「はた」とも「ひれ」とも読む。立岩遺跡から出土した鉄矛に平絹が張り付いていた。魔除けに
この鰭(ひれ)が付いている。
 先代旧事本紀において、饒速日命が十種神宝を携えて、豊国に天神降臨してくる。饒速日命は、三種の神器ではなく、
十種神宝で鏡・勾玉・鉄剣の次の4番目が比礼(ひれ)である。比礼(ひれ)が三種類ある。
 これが、祓戸の神(祓戸大神)の大事な部分である。だから、織姫と関わる。

「はた」と「ひれ」
はた
 鰭
 、旗、旌、幟
 
ひれ
 鰭
 比礼、領巾、肩巾
 ※波・風を起こし、または
 静め、害虫・毒蛇などを  
 追い払う
など、呪力を持つ
 と信じられた
絵「刀のひれ」
絵「機織機」
絵「幡」