「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 第12回古代史講座 古代田川を解き明かす
  豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―
 (令和元年八月三日(土)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 香春町町民センター町民ホール)より

 豊の国の織姫 ―邪馬台国の絹―

■ 記紀から隠された豊国の織姫

● 隼人が祭った織姫が、瀬織津姫神?

記紀から隠された豊国の織姫

八幡比咩神とは何か

隼人の蜂起と瀬織津姫神

菊池展明

 衆生の罪穢れを洗い流す水神にして、極楽浄土の彼岸へ
天の川原を渡らせる大海神

 円空が尊崇してやまぬその神は、大和朝廷によって
記紀の「正史」から追放された、太陽神アマテラスの
対偶神・月の女神
だった。
 封印された扉を開き、いま禁忌の女神がその姿を現す。

 

● 日本書記 神代下 第九段の𣑥幡千千姫

記紀から隠された豊国の織姫
神代下 第九段
 天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍
穂耳尊、高皇産靈尊の女𣑥幡千千姫
娶きたまひて、天津彦彦火瓊瓊杵尊を
生れます。
𣑥幡千千姫
  萬幡豊秋津媛命
  𣑥幡千千姫萬幡姫命
「写真」

小竹町 絹干神社 機織姫命を祀る

 

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
崇神天皇
174年、祟神天皇即位。
178年、「国内に疫病が多く、民の
  大半が死亡する
。」
179年、「人民が流浪し、ある者は
  反乱した

  天皇は天照大神・倭大国魂(やまとおおくにたま)(=
  大物主神(おおものぬしのかみ))、二神を、宮殿内に
  共に祭り、(あまつかみ) (くにつかみ)に罪を請
  うた。」
180年春、「時に大物主神が神明(あまてらす)
  (やまと)迹迹日(ととび)百襲(ももそ)姫命(ひめのみこと)に憑いて、我
  を祭らば国は治まるであろうと告
  げた
。神の教えのとおりに祭った
  が霊験はなかった。」

 

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
崇神天皇
180年秋、「天下に布告し、大田(おおた)田根子(たねこ)
  を求めると茅渟(ちぬの)(あがた)陶邑(すえのむら)宗像市須
  恵
)に彼を捜し当て、11月に大物主
  神を祭らせた

  すると、疫病が初めて終息し、国内が
  次第に静まり、五穀がみのり、人民が
  賑わった
。」
 この神酒(みき)は わが神酒ならず
 (やまと)成す 大物主
 ()みし神酒 幾久 幾久
183年武埴安彦(たけはにやすびこ)の乱。
184年、四道将軍が、戎夷(ひな)を平定。
霊帝の光和(178~184)中、
  倭国乱相攻伐歴年

 

卑弥呼即位から遣魏使
二〇〇(一九六~二二〇 建安年間)
  卑弥呼共立か。
(魏志韓伝・倭人伝、日本書紀 神功皇后紀)
二三〇 「将軍衛温・諸葛直を遣はし、甲士
  万人を率ゐて海に浮び、夷州(推定
  奴国
)および亶州(推定東鯷国)を求
  む」
(三国志呉書「孫権伝」黄竜二年)
二三三 倭の女王卑弥呼、使を遣はし来聘す。
(新羅本紀一七三)
二三八 景初二年六月、邪馬臺國の女王(に
  して神武の後継者たる)卑弥呼、魏の
  方郡
に大夫難升米等を遣はす。
(魏志)
二四〇 魏使邪馬台国に至る
  正始元年、太守弓遵遣建中校尉梯儁等
  奉詔書印綬

 

● 都怒我阿羅斯等は、新羅から香春に来て、後に敦賀に行った

 意富加羅(おほからの)国は、後の新羅である。

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
崇神天皇
200年、額に角のある人が越国(こしのくに)(福井
  県)の笥飯(けひ)(気比)浦に停泊した。
   そこを角鹿(つぬが)(敦賀)と名付けた。
  「どこの国の人か」。「意富加羅(おほからの)
  の王の子、名は都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)
   日本国に聖王がいると聞いて、こ
  の国に来た。
198年、穴門(あなと)(関門海峡)に到った時、
  伊都都比古(いつつひこ)に会った。
   彼は『私がこの国の王だ。私以外
  に二人の王はいない。他所に行くな』
  と言ったが、私は王ではあるまいと
  思い、島々浦々を伝ってここ(角鹿)
  に来た」と答えた。

 

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
崇神天皇
 都怒我阿羅斯等大加羅国から崇神の
死ぬ直前に穴門に来た。
 崇神が亡くなって垂仁に三年仕えた後
、垂仁の元を離れ、日本海を東に遷り、
敦賀の気比に到ったという話になる。
記紀によれば、198年穴門に至り、
200年に気比に去ったことになる。
 卑弥呼共
立の年に都
怒我阿羅斯
等は気比神
宮周辺に到
着した
写真「敦賀市」

 

● 香春郷土史会の鶴我さんは、都怒我阿羅斯等の子孫

崇神天皇紀
香春町鶴我家系図
家系図「鶴我家 都怒我号角鹿」
家系図「鶴我家 始祖 阿羅斯等」

 

● 都怒我阿羅斯等が追いかけてきた童女の行った先が、豊前田川郡香春の説がある

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
垂仁天皇
 都怒我阿羅斯等は本国にいた時、白石
を寝室に置いていたら、その神石が美し
い童女
となった。
 阿羅斯等は喜んだが、留守の間に童女
が消えた。
 その足跡を追って海を渡り、日本国
来た。
 童女は、難波に行き比売語曽(ひめこそ)となり
豊国国前(くにさき)郡に到って、また、比売語曽
社の神
になった。
 豊後の国埼郡の比売語曽神社(大分県
姫島村)とする説が有力だが、豊国国前
郡を豊前田川郡香春だとする説
も古くか
らある。

 

韓地に於ける大姫命
 =「白石の玉
倭三山(香春岳)
 =白石の山
(太宰管内志)
香春ノ神は比売語曽神社!
「比売」(こそ) → 卑弥呼!
「香春神社 祭神」
「香春岳」

 

崇神天皇紀の最重要点
崇神天皇
 =御間城入彦天皇
   (任那からの入日子
 =都怒我阿羅斯等(天之日矛)
崇神天皇の皇后
 =御間城姫任那からの姫
 =倭迹迹日百襲姫命
        (日本書紀)
 =辛国息長大姫大自命
        (香春神社の神)
 =卑弥呼
※ 新羅から河原に来た神!

 

● 古宮八幡宮御鎮座縁起の「宇佐八幡と古代神鏡の謎」より豊比咩命と宇佐八幡の比売大神
 異社同体ノ御神で、新羅からの神

記紀から隠された豊国の織姫
古宮八幡宮御鎮座縁起
田村圓澄・木村晴彦・桃坂豊
『宇佐八幡と古代神鏡の謎』所収
 抑 古宮八幡宮鷹巣山御鎮座之事。
往昔、香春三峯の豊比咩命及び神功
皇后・応神天皇を併せ祭て、山嶽之
麓古宮と謂う処に宮柱太敷立て古宮
八幡宮として崇拝す。
 然して三所御神之中、別に八幡宮
の神号を挙ぐるは是れ一社之秘伝に
して、容易に泄す所に非ず。
 当社は香春宮とは異社同体ノ御神
して、祭祀には既に神輿を俱にす
豊比咩命と宇佐八幡の比売大神も
 異社同体ノ御神=新羅からの神