「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
鷹羽の神々 -倭成す大物主-
■ 国生み神話 /誓約(うけひ)/ 素戔烏尊と草薙剣
日本書紀も古事記と同じですが、国生みの話は伊弉諾尊と伊弉冉が大八洲の国を生んだという事になっている。
この話は、考古学上、紀元前4~3世紀と思われる。
日本書紀 神武天皇紀の終わりにある伊弉諾尊が名付けた「日本は浦安の国、細戈の千足る国・・・」というのは、
古遠賀湾のことであろう。
伊弉諾尊と伊弉冉が最初に降り立ったおのころ島が、水巻町の多賀山まであろうという事が解ってきた。その
多賀山の直ぐ近くに立屋敷遺がある。
伊邪那岐命が住んだといわれる八尋殿、つまり地上から床までの高さが、8尋(ひろ)の高床式建物の柱の跡が
出ている。このことから伊弉諾尊は、紀元前4~3世紀の王である。
英彦山の神は、これよりもずーっと古い。縄文時代の神である。古事記や日本書紀は、このように新しい神を
国生みの神に仕立て上げている訳である。
これは、今まで話してきた日本書紀です。
宗像三女神である多紀理毘売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命は、速須佐之男命の持っていた刀から生まれたと
ある。だから、宗像三女神は、速須佐之男命の子である。これが、古事記の主張です。
次に速須佐之男命が天照大御神の持ち物から生んだ子(神)の名が、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命である。
天之忍穂耳命は、現在、英彦山北岳に祀られている。
古事記では、都牟刈の大刀と呼ばれた同じ劔が、英彦山上宮に祀られた天村雲命と似たような名前で天叢雲劒と
ある。日本武皇子の時に草薙劒に変わっている。
八俣遠呂智の「m」音が、「b」音に交代から、八幡(八幡神)は八俣の大蛇一族が最初ではなかったか?
したがって、素戔烏尊は最初(一番古い)の八幡神を倒した人である。
今の段階で、素戔烏尊が詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 」のこの歌が
日本で最も古い倭歌と言われている。
「やまと」は田川であると言っている以上、この倭歌(やまとうた)も当然、筑豊の歌である。
※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より
素戔烏尊が、出雲王朝を造ったことになっているが、時代がよく解らない。高天原を追われて、今の島根県
(出雲)に造ったかといえば、どうもそうでは無い。『宋史 日本國』によれば、天照大神尊の前、伊弉諾尊の
後である。素戔烏尊が建てた出雲というのは、飯塚市の南の桂川町に出雲交差点がある辺りではないだろうか?
というのが、一説である。
その前に出していた一説が、大分県宇佐市の 安心院に妻垣神社 がある。ここに素戔烏尊が、須賀の宮を造った
のではないか。
筑豊・飯塚市・嘉穂地区にかけて須賀神社がいっぱいあるので、どちらが先にできたのか? 今また悩み始めた。
島根県の出雲大社は、『古事記』の時代には登場していません。出雲の国も八俣遠呂智もこちら筑豊である。
田川、添田の古代豊国には、青銅と鉄とが同時期に作られた可能性が高い。
八俣の大蛇一族は、人頭蛇身の女媧といわれる下半身が蛇の神を祀る一族ではなかったか?中国から田川に人が来ていると
言われているのであり得る。
※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より
*.(参考)中国神話の伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)は、頭は人間、身体が蛇の形で描かれている。