「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
鷹羽の神々 -倭成す大物主-
■ 大国主神 / 稲羽の素菟 / 古事記 別天神五柱 / 八千矛神 / 系図の謎
湏佐之男命から大国主神に至る系図が書かれている。
宇迦之御魂神は、豊国の織姫である。農業と蚕の神様である。豊受大神である。 香春町の天ヶ森 という所に碑が
建てられている。高さが2.5~3mもある碑である。
ここには、6代の神が書かれていて、その最後に大国主神が書かれている。大国主神には、5つの名前がある。
大国主神 = 大穴牟遅神 = 葦原色許男神 = 八千矛神 = 宇都志国玉神
大国主の稲羽の素菟の話。
淤岐嶋は通説では、島根県の隠岐島となっているが、玄海の沖ノ島とした。
海のワニは、岡垣町に九十何代目かの子孫の方がいらっしゃる熊鰐一族の方とした。
ここでは、大国主は大穴牟遅神の名で書かれている。
原文は、「稲羽」と書いてある。鳥取県(因幡)ではありません。「しろうさぎ」も「素菟」と書かれている。
左側の像
奉献
御大禮記念
(昭和3年~1928~11月
の昭和天皇即位大礼)
奉納者・奉献年は読み取れ
ない。
右側の像
奉献
昭和9年(1934)11月3日
奉献者:世取鶴松以下
世取姓の4人
うさぎの狛犬はめずらしいとあり、うさぎは五穀豊穣も象徴するとある。
この高木神社の主祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。うさぎは、この高皇産霊神のつかいである。
これが、稲羽の素菟ではないかと思う。宗像辺りで上陸直前に熊鰐一族にやられて、何とか回復して這々の体でここまで
登って来た神様である。古事記の世界では、うさぎ神という。
稲羽の素菟も福岡県の話である。
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を音で言えば、「たか」でしょ。これは、英彦山の「鷹」である。「鷹」の字が、「高」に
書き換えられた。
もう一つ証拠に元々は「鷹羽」と書いて、「たかは」の里だった。これが、日本書紀 景行天皇紀で「高羽」と書いてある。
それが現在は、「田川」になっている。何世紀もかけて元の名前が消されている。古事記や日本書紀の段階(8世紀の時点)で
はや英彦山の「鷹」の字が消されつつある。
小学館「因幡の白うさぎ」より
八十神たちが、焼けた大岩を赤いイノシシと偽って、オオナムヂにつかまえさせ、
殺そうとします。
焼き殺されたオオナムヂは母の願いを聞いたカムムスヒの力で生き返ります。
大国主の話のここにも高御産巣日神が出てくる。神産巣日之命が殺されたオオナムヂ(大穴牟遅)を生き返らせる。
鷹の羽の(たかは)の一柱の神の力で蘇る。これは、英彦山に関する話である。
スセリヒメを背おってにげるオオクニヌシ
山辺神社藏
火にかこまれたオオクニヌシを
助けるネズミ(左下)
「内はほらほら、外はすぶすぶ」 山辺神社蔵
オオナムヂ(大穴牟遅)は、また別の罠で殺される。二度も八十神に殺されるが、今度は母親が生き返らせる。ここに居ては
危ないと根の堅州国に行って湏佐之男命に助けを求める。湏佐之男命の娘スセリヒメと恋に落ちる。
それで、湏佐之男命から色々な難題を与えられる。ある時は毒蛇の住む岩屋で一晩寝てこいとか、ある時はムカデのいっぱい
いる岩屋で寝てこいとか、三度目には鏑矢を放ってこの矢を取ってこいと言われて行ったところに周りに火を放たる。
また、火攻めに遭うがその時に助けたのが絵にあるようにネズミである。この時の「内はほらほら、外はすぶすぶ」というのは、
平尾台の事件だと思う。 ここは、よく野焼きをする。平尾台には縦に開いた鍾乳洞があり、そこで難を逃れる。
このように湏佐之男命から色々と迫害を受けるので、スセリヒメを背おって逃げていく。この時に湏佐之男命からお前は、
これからは大国主と名乗ると良い、それで俺から持って行った武器で自分の国を築き上げろと、このような変な捨て台詞を
湏佐之男命が残す。
次に八千矛神(=大国主)の名前で出てくる。
大国主が背負って逃げた妻の須勢理毘売命は、ヤキモチ焼きである。
日子遅の神とまた、大国主が別名で書かれている。「日子」は英彦山の一番最初の書き方である。天照大神尊、正哉吾勝
勝速日天押穂耳尊は日神の子だから、その日子(ひのこ)が居るから日子山という。
大国主命の別名、八千矛神のところで、日子遅の神とハッキリと出ている。正しく大国主は、日子山の一番古い字を持って
いる。
大国主、大穴牟遅、八千矛神 → 日子遅の神
ここの歌で一番気になるのが、「沖つ鳥 胸見る時」である。沖つ鳥から沖ノ島。胸見る時は、着物を着る時に何度も
何度も胸元を見て着物がキッチリとしたので、さあー出かけるぞという歌である。
何処へ出かけたか?「出雲より倭国に上り坐さむ」と書いてある。これはたぶん宗像の多紀理毘売命へ行ってのであろう。
その多紀理毘売命だと思うのが「山処の 一本薄(やまとのくにの一本のススキのようになよやかな)」の形容がある。
大国主は、そこへ出かける時の歌だと思っている。
©日本神話・神社まとめ 古事記原文
大国主が出かけていくというとヤキモチ焼き須勢理毘売命は、ションボリとする。
『日本神話・神社まとめ 古事記原文』の絵に「急にしおらしい」。「急に男らしい」大国主のイラストがある。
その歌の中に「八千矛の 神の命や 吾が大国主」とあるように私のことも愛してとある。最後の所に私の所で寝て
とあり、そこで酒を召し上がりなさいの原文に「豊御酒奉らせ」とハッキリ書いている。
なぜ、ややこしい原文が外せないかというと、訳本になると「豊御酒」の「豊」が落ちて、「お酒を召し上がりなさい」と
なる。これでは、原文の持つ意味が解らなくなる。
今までの古事記の解釈、通説では、スセリヒメが、急にしおらしくなって、私の事も大事にしてねと詠う中に「豊御酒」は
出てくる。「山処の 一本薄」も紹介したようにこれは、スセリヒメではなく、多紀理毘売命との間で交わされた歌では
ないかな?と思っている。そうでなければ、しっくりと合わない。
島根県では、「豊御酒」とは言わないはずである。
大国主(八千矛神)と多紀理毘売命が出会ったと思われる歌が、万葉集の一番歌です。
この系図は、おかしい。
大国主神と宗像の奥津宮の神、多紀理毘売命が生んだ子が、阿遅鋤高日子根神である。その神の系譜が十七世も続く。
湏佐之男命と大国主神の間は、6代開いている。にも関わらず、湏佐之男命の娘スセリヒメと大国主神は結婚している。
合わない。古事記のの神の系譜も日本書紀の神の系譜もメチャクチャである。自分の6代前の方の娘と現在生きている
自分とが結婚できる訳が無い。無理である。その無理は事を古事記は平気で書いている。
古事記の神代の巻、最初から何らかの意図でごちゃごちゃにして何かを消そうと消そう。隠そう隠そうとしている。
※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より
大国主は、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命を娶すとあるが、別伝では、多紀理毘売命と一緒になっているのは、
大物主神である。彦山縁起がそうである。彦山縁起には、大物主神の妻が多紀理毘売と書いている。
『古事記』は大国主神と大物主神をどうしても一色淡にしたかったようである。
矛盾がある。大国主は次の事代主の神と一緒に天孫族に国譲りをした神である。国譲りの前に十七世もいたのか?
上図の系譜は細かいので、系図の部分のみ拡大