「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 第13回古代史講座古代田川を解き明かす
  鷹羽の神々 -倭成す大物主-
 (令和元年十月二〇日(日)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 福岡県立大学大講義室)より

 鷹羽の神々 -倭成す大物主-

■ 彦御山宝印 / ヤマトは日子山のある国 / 豊前国

<訂正>
  従来は、「彦御山宝印」と書かれているとされているが、令和5年4月に書家 井上悦文氏より「天御中主皇」と
 書かれていると教えられた。

鷹羽の神々
 彦御山宝印 - 天御中主
「彦御山宝印」



※以下、講演時のスライドより

鷹羽の神々
 彦御山宝印 - 天御中主
「彦御山宝印」



 彦御山宝印は、漢字が書かれている。右側の鷹の下の字は「」、「」。真ん中の鷹の下の字は「」。
左側の鷹の下の字は「」、「」が書かれている。
 これは、「彦御山宝印」である。それぞれの漢字の上に三羽の鷹が留まっているという構図である。
 この並びは、真ん中の神は女神である。今は伊邪那美命が祀られているが、実は祓戸大神(はらえどのおおかみ)
である瀬織津姫を祀っているのではないだろうか?というのが、前回の話でした。
 これを今日、ハッキリ言います。この真ん中、英彦山中岳の神こそが、古事記の最初に登場するのが、
天御中主である。(中略)鷹羽の神である。

※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より

 通称は、御山宝印図という。3羽の鷹が左より北岳・中岳・南岳にいらっしゃる神々を表している。現在、
真ん中は伊邪那美命が祀られている。女神である。
 上記コメントを参照。(以下、略)

 

門・処(倭・日本・大和)は
日子のある国
「写真」

英彦山Ⓒ添田町

 「やまと」は「山門」とか「山処」と萬葉集や古事記では、書かれる。皆さんご存知の「」、「日本」、
大和」と書いてもすべて「やまと」で、英彦山の山を意味しており、英彦山のある国が、「やまと」の
語源であると言い続けている。
 奈良県に移った大和王朝は、8世紀後半に引っ越して(遷都)行くが、英彦山も香春岳も自然は持って
行けなかった。人と建物とお墓とが遷って行ったが、英彦山と香春岳と山河は動かすことが出来なかった。
 この英彦山のある所こそが、本来の「やまと」であった。こちらが、「やまと」の本家である。

 

豊前国(倭国中心部)
「豊前国の地図」

 豊前国が、倭国の中心部である。昔の豊国はもっと広かった。豊前、豊後、遠賀、宗像辺りまで全部。
朝倉も入ってくるでしょう。

※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より

 特に田川郡は、英彦山を含めて一番中心である。田川は、元々が鷹の羽と書く鷹羽郡である。それが、
白鳳時代に今の「田」と「川」の田川郡に変わっただけである。