「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 第13回古代史講座古代田川を解き明かす
  鷹羽の神々 -倭成す大物主-
 (令和元年十月二〇日(日)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 福岡県立大学大講義室)より

 鷹羽の神々 -倭成す大物主-

■ 戦後史学から脱却せよ! / 九州王朝論と倭国=豊国説

 

 戦後史学から脱却せよ!

① GHQの占領政策から解放されること。

② 戦後史学の「邪馬台国畿内説」や「大和王朝近畿説」から解放されること。

③ 筑豊・田川の神々を尊重し、筑豊の古伝承を大切にすること。

④ 筑豊の人々が自分と自分の土地に自信と誇りを取り戻すこと。

※ 筑豊が元気になれば、古代史が変わる!

※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より

 「③ 筑豊・田川の神々を尊重し、筑豊の古伝承を大切にすること。」が、結果的に『古事記』『日本書紀』の
神代の巻に関する事柄を正しく再現する手掛かりになる。

 「※筑豊が元気になれば、古代史が変わる!」と書いていますが、古代史が変わるのでは無く、古代史がかつての
正しい方向に、正しい姿に戻るだけである。

 

九州王朝論と倭国=豊国説

アウフヘーベン(止揚)

矛盾、
ジレン

ジンテーゼ(総合命題)倭国=豊国説
  記紀は豊国中心の史書(倭国~日本国の歴史)   
  英彦山から沖ノ島までの遠賀川流域が倭国
合 神武・卑弥呼・神功・天智は豊国側の王   
  倭の五王と阿毎多利思比孤・天武は筑紫側の王   
  壬申の乱も豊国での戦い

テーゼ(命題)九州王朝論   
  邪馬壱国博多湾岸説   
  記は正しく書紀は偽書   
  神武は奈良県に東征した
正 東鯷国所在不明   
  狗奴国所在不明   
  水沼皇都の比定なし   
  万葉集に九州人の歌なし

アンチテーゼ(反命題)豊前王朝論
  邪馬台国田川説   
  記紀はともに正しい   
  神武は筑豊に東征した
反 東鯷国を近畿に比定   
  狗奴国を火の国に比定   
  水沼皇都を久留米に比定   
  万葉集は九州王朝の勅撰

 古田武彦氏の九州王朝論との一番の違いは、初代の神武天皇は奈良県(大和)には行っていない。筑豊に東征した。
古田史学と言われる福田武彦氏の九州王朝論と大きく違う点である。
 もう一つは、古田武彦氏の邪馬壱国博多湾岸説に対して、同じ邪馬台国という字を書いて、「邪馬台(ヤマト)国」
田川説を採っている。

 その「正」「反」「合」の形で古代史論を止揚化(アウフヘーベン)した。その結果、今唱えているのが、倭国=
豊国説である。そして、記紀は豊国中心の史書である。古事記、日本書紀に書かれている「ヤマト国」というのは、
ここ豊国である。
 英彦山中心の文化圏に「ヤマト王朝」は誕生した。(以下略、上記のスライドの内容)
 「ヤマト王朝」は、田川で興った。「倭成す大物主」が、本日の結論である。

※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より

 古田武彦氏の九州王朝論は、九州に王朝があった。これは良いが、大和(奈良県)にもこちらの分家の王朝があった
という二言論(多元論)で九州王朝論を唱えた。

 それに対して、大芝英雄さんの出した豊前王朝論の中の「神武は筑豊に東征した」ということを唱えられた。その説を
受けて、邪馬台国田川説以下の内容を出した。

 それを(正)(反)(合)の形でアウフヘーベン(止揚)して、上記の倭国=豊国説を唱えている。。