「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
鷹羽の神々 -倭成す大物主-
■ 瀬成神社 / 宋史 日本國(王年代紀) / 英彦山神宮御本社(上宮) / 日本書紀 / 古事記
瀬成神社に瀬織津姫神が祀られていた。瀬織津姫神が祀られたのが6世紀の頃でその前から豊宇気姫神、
つまり五穀豊穣の神、蚕の神織姫がずーっと以前から祀られている。
瀬成神社の神も英彦山の神と同じ農耕、牛馬の神である。
ㇾ
二
一
二
一
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ㇾ
二
一
この宋史 日本国に記されているのは、10世紀の東大寺に伝わっていた王年代紀である。ここの最初に
天御中主が出てくる。古事記と同じである。次に天村雲尊、後は古事記とは全然順番が違うが、(中略)、
伊弉諾尊、素戔烏尊、天照大神尊と続く。素戔烏尊と天照大神尊は兄弟ではないという事が、10世紀の
東大寺に残されている。
正哉吾勝勝速日天押穂耳尊は、天照大神尊の次に出てくる。
※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より
英彦山北岳には、正哉吾勝勝速日天押穂耳尊が祀られている。天押穂耳尊は、天忍骨尊として香春二ノ岳に
祀られている神である。
上記の宋史 日本国(王年代紀)に2番目に出てくる天村雲尊が、ここ英彦山神宮御本社(上宮)に祀られて
いる神である。
だから、早くから天御中主もたぶん英彦山の神であるだろうと推測をしていた。
日本書紀では、天御中主尊は、卷第一第一段 一書第四にやっと出てくる。
これまでは、日本書紀を中心に田川の「やまと」の古代史を語ってきた。今日からは、古事記にシフトします。
高天原は、添田町の添田神社の直ぐそばにある。
天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神は、英彦山の始原の神である。彦御山宝印の中央の鷹が
天之御中主神。左側の鷹が高御産巣日神。右側の鷹が神産巣日神だと思われる。今の神様の前に祀られていた。
しかも縄文時代の神(すなわち王)である。
次の書かれている葦牙(あしかび)、これは稲である。宇摩志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)も
英彦山の神である。
天之常立神とあわせて、五柱の神は、別天つ神(ことあまつかみ)、スペシャル天神だと書かれている。これが、
英彦山の神である。
※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より
『古事記』『日本書紀』は、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神これらの神々を名前だけを残して
隠してしまった。この3柱の神が最初の英彦山の神である。
今は、左から天押穂耳尊、伊弉冉尊、伊弉諾尊が祀られている。その裏に元々はこの3柱の神々が祀られて
いたのではないだろうか?と考えている。
次に書かれている宇摩志阿斯訶備比古遲神と天之常立神も『古事記』で隠された。
この5柱の神は、国生みの伊弉諾尊、伊弉冉尊の前にいる神である。この神は、英彦山の始原の神である。
宇摩志阿斯訶備比古遲神のところに、葦牙(これは、水稲)である。この土地、英彦山の土地に稲作を
もたらしたかも知れない神が書かれている。
漢字を読みだけ聞くと「ひこじの神」、英彦山の「ひこ」という事に気付いた。