「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 第13回古代史講座古代田川を解き明かす
  鷹羽の神々 -倭成す大物主-
 (令和元年十月二〇日(日)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 福岡県立大学大講義室)より

 鷹羽の神々 -倭成す大物主-

■ 瀬成神社 / 宋史 日本國(王年代紀) / 英彦山神宮御本社(上宮) / 日本書紀 / 古事記

 

瀬成神社(中元寺)
「写真」

 

瀬成神社伝承
(「ふるさと中元寺」より)
 瀬成神社も、中元寺はおろか、筑豊一円に広く、
農耕、牛馬の神として、尊敬されたお宮です。
 御祭神は、


の御三神にまします。
 豊宇気姫神(とようけひめのかみ) 瀬織津姫神(せおりつひめのかみ) 速開津姫神(はやあきつひめのかみ)
 当社の縁起によれば、昔、中元寺の里は、大原
庄虫生
と称していました。
 東方に高台があって、毎夜何となく騒然とする
ので、遠望して見るに美しい大廈高楼が軒をなら
べ、数千の灯が宮殿の中のように燦いて見えます。
近づいて見ようとすると、それは水絵のように消
えて、全く何も見えなくなります。不思議という
外はない現象が、毎晩起りました。
 ある日、村の子供が一人行方不明になりました。

 瀬成神社に瀬織津姫神が祀られていた。瀬織津姫神が祀られたのが6世紀の頃でその前から豊宇気姫神、
つまり五穀豊穣の神、蚕の神織姫がずーっと以前から祀られている。
 瀬成神社の神も英彦山の神と同じ農耕、牛馬の神である。

 

彦御山宝印 ー 天御中主
 宋史 日本國(王年代紀)
其年代紀所 記云、初主號 天御
中主
 。次曰 天村雲尊 、其後
皆以 尊爲 號。次天八重雲尊、
次天彌聞尊、次天忍勝尊、次贍波
尊、次萬魂尊、次利利魂尊、次國
狭槌尊、次角龔魂尊、次汲津丹尊
、次面垂見尊、次國常立尊、次天
鑑尊、次天萬尊、次沫名杵尊、次
伊弉諾尊、次素戔烏尊、次天照大
神尊
、次正哉吾勝勝速日天押穂耳
、次天彦尊、次炎尊、次彦瀲尊
、凡二十三世、並都 於筑紫日向
宮 。

 この宋史 日本国に記されているのは、10世紀の東大寺に伝わっていた王年代紀である。ここの最初に
天御中主が出てくる。古事記と同じである。次に天村雲尊、後は古事記とは全然順番が違うが、(中略)、
伊弉諾尊、素戔烏尊、天照大神尊と続く。素戔烏尊と天照大神尊は兄弟ではないという事が、10世紀の
東大寺に残されている。
 正哉吾勝勝速日天押穂耳尊は、天照大神尊の次に出てくる。

※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より

 英彦山北岳には、正哉吾勝勝速日天押穂耳尊が祀られている。天押穂耳尊は、天忍骨尊として香春二ノ岳に
祀られている神である。

 

英彦山神宮御本社 (上宮)
 神武天皇が御東征の時、天村雲命(あめのむらくものみこと)を遣わさ
れて祀られたと伝えられていますが、社殿がで
きたのは、崇神天皇四一年(前五七年)と言わ
れてます。
 現在の社
殿は天保一
三年(一八
四二年)に、
肥前藩主鍋
島斉正によ
って奉建さ
れたもので
す。
写真「英彦山神宮御本社 (上宮)」

 上記の宋史 日本国(王年代紀)に2番目に出てくる天村雲尊が、ここ英彦山神宮御本社(上宮)に祀られて
いる神である。
 だから、早くから天御中主もたぶん英彦山の神であるだろうと推測をしていた。

 

彦御山宝印 - 天御中主
 日本書紀 卷第一第一段 一書第四
 一書に曰く、天地(あめつち)初めて(わか)るるときに、
始めて(とも)()れる神有り。國常立尊(くにのとこたちのみこと)
號す。次に國狹槌尊(くにのさづちのみこと)
 又曰く、高天原(たかまがはら)()れる神は、名を天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と曰う。次に高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)
次に神皇産靈尊(かむみむすひのみこと)
皇産靈、此を
美武須毗(みむすひ)
云う。
「彦御山宝印」

 日本書紀では、天御中主尊は、卷第一第一段 一書第四にやっと出てくる。

 

彦御山宝印 - 天御中主
 古事記 別天神五柱
 天地初めて發けし時、高天原に成りし
神の名は、天之御中主神、次に高御産巣
日神
、次に神産巣日神
、この三柱の神は、
みな獨神と成りまして、身を隱したま
ひき。
 次に国稚く浮ける脂の如くして、海月
なす漂えるとき、葦牙の如く萌え騰る物
によりて、成りし神の名は宇摩志阿斯訶
備比古遲神
、次
に天之常立神。
この二柱の神も
また獨神と成り
まして、身を隱
したまひき。
 上の件の五柱
の神は、別天つ
「彦御山宝印」

 これまでは、日本書紀を中心に田川の「やまと」の古代史を語ってきた。今日からは、古事記にシフトします。
高天原は、添田町の添田神社の直ぐそばにある。
 天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神は、英彦山の始原の神である。彦御山宝印の中央の鷹が
天之御中主神。左側の鷹が高御産巣日神。右側の鷹が神産巣日神だと思われる。今の神様の前に祀られていた。
しかも縄文時代の神(すなわち王)である。
 次の書かれている葦牙(あしかび)、これはである。宇摩志阿斯訶備比古遲(うましあしかびひこぢのかみ)
英彦山の神である。
 天之常立神とあわせて、五柱の神は、別天つ神(ことあまつかみ)、スペシャル天神だと書かれている。これが、
英彦山の神である。

※(追記) 令和元年十一月二日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主--- より

 『古事記』『日本書紀』は、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神これらの神々を名前だけを残して
隠してしまった。この3柱の神が最初の英彦山の神である。
 今は、左から天押穂耳尊、伊弉冉尊、伊弉諾尊が祀られている。その裏に元々はこの3柱の神々が祀られて
いたのではないだろうか?と考えている。

 次に書かれている宇摩志阿斯訶備比古遲神と天之常立神も『古事記』で隠された。
この5柱の神は、国生みの伊弉諾尊、伊弉冉尊の前にいる神である。この神は、英彦山の始原の神である。
 宇摩志阿斯訶備比古遲神のところに、葦牙(これは、水稲)である。この土地、英彦山の土地に稲作を
もたらしたかも知れない神が書かれている。
 漢字を読みだけ聞くと「ひこじの神」、英彦山の「ひこ」という事に気付いた。