「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 倭国大乱と卑弥呼

※ 倭国大乱と卑弥呼
 (平成三〇年七月八日(日)、主催:田川広域観光協会、於:福岡県立大学大講義室)より

■ 箸墓伝説は、御所ヶ谷神籠石を造った時の話である

 
 姫は仰ぎ見て後悔し、ドスンと座った。
すると箸に陰部をついて死んだ
 大神はたちまちに人の姿となって妻に
言った。「お前は私に恥をかかせた。私
はお前に恥をかかせてやる。」と。神は
空に上り三輪山(香春岳)に帰った。
 翌朝櫛箱を見ると麗しい小さな蛇
いた。姫は驚き叫んだ。
 大神は翌朝姫の櫛箱に入って居よう。
私の姿に驚いてはならないと答えた。
 倭迹迹日百襲姫命が大物主神の妻と
なった
。神は昼に現れないで夜だけ来た。
姫は朝に神の麗しい姿を見たいと言った。
「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
崇神天皇

 

 
「大坂に継ぎ登れる石群」を用いた建造
物は豊前国大坂から登った「御所ヶ谷神
籠石」を指すようだ。
 時の人が歌って言うには、
大坂に継ぎ登れる石群(いしむら)()ごしに越さ
 ば越しかてむかも(いや、手渡しで越
 すことは決してできない
)」。
 また、大坂山の石を運んで造る。山か
ら墓に至るまでに、人民が列を作って手
から手へ渡して運ぶ。
 時の人はその墓を名付けて、箸墓
いった。この墓は、昼は人が造り、夜は
神が造った。
「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
崇神天皇

 

御所ヶ谷神籠石 = 景行天皇の京(京都郡の起源)

霞立ち春日か霧れる 夏草か繁くなりぬる
百磯城の大宮処見れば淋しも (万葉集二九)
大坂に 継ぎ登れる 石群を
手遞傳に越さば 越しかてむかも (崇神紀)