「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
ヤマトタケルの負けた理由
■ 草薙の劒は、鉄剣の故郷筑豊の剣であり、日本武尊も鞍手にいた
● 天叢雲剣は、日本武尊の時代に草薙の剣と呼ばれるようになった
・・・ 草薙の剣の元の名は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と言われていた。八俣の大蛇の尾っぽから
出てきた剣である。
この剣が、日本武尊の時代に草薙の剣と呼ばれるように変わった。
● 日本武尊は、鞍手町新北にいた贄田(にぎた)物部である
・・・ 日本武尊の本貫地は、『鞍手町史』から解っている。日本武尊の子や孫たちが非常に関わってくる。
「新北尊」とか「新北の神主」と出てくる。
また、「御子天賀那川(かながわ)彦ノ王」とあるが、鞍手町新北にある熱田神社の宮司が金川(かながわ)
さんである。たぶん、賀那川彦の子孫だと思われる。
日本武尊は、鞍手の人である。だから、日本武尊は、贄田(にぎた)物部である。
中山の剣岳 に居た。
・・・ 剣岳の下に八剱神社がある。日本武尊、宮簀姫、素戔男尊が祀られている。だから、八俣の大蛇、
素戔男尊以来、日本武尊に至るまで鉄剣の故郷が筑豊である。
国内で製鉄したのか、輸入したのかは、私には解りませんが。
・・・ 女媧(じょか)という人間の頭に尾っぽが蛇の神である。丁度、8匹(人)いる。
筑豊には、弥生時代から写真のような鉄剣があった。
● 弥生時代の鉄器からみれば、邪馬台国と狗奴国の争いは、福岡県と熊本県で起きた
・・・ 川越哲志氏の『弥生時代鉄器総覧』から福岡県、熊本県の数の多さを見れば明らかである。奈良県は、
ほとんど無しである。
これを見れば、邪馬台国と狗奴国が奈良県と和歌山県で起きた訳がない。
● 日本武尊が、草薙の剣(天叢雲剣)を受け取った処は、伊勢神宮(天照神社)である
・・・ 日本武尊が、叔母・ヤマトヒメから草薙の剣(天叢雲剣)を何処で受け取ったのか。宮若市磯光の
天照宮 であろうと思っている。
鞍手町中山の剣岳から少し南下すれば、たどり着く。
● 草薙の剣を持っていない景行は、天皇ではない
・・・ 草薙の剣は、日本武尊が持っていた(佩いていた)。ところが、『播磨國風土記』にある大帯日子命
(景行天皇)の佩いていた剣は、八咫の劒である。そして、八咫の勾玉と麻布都の鏡が、三種の神器で
ある。
景行天皇は、草薙の剣を持っていない。だから、景行は、天皇では無い。草薙の剣を持っている日本
武尊が、本物の豊国の天皇である。
・・・ 日本武尊が、熊襲国を平定したとあるが、実は、田川の失地を回復というのが、日本武尊の業績だと
思われる。それが 田川市猪膝 に残された伝承である。土折・猪折は、日本武尊が滅ぼした。