「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
古代田川に天皇がいた2
■ 神武天皇、菊池・山鹿から筑紫の博多湾岸まで出る
● 神武天の父、鸕鷀草葺不合尊は、呉の人々がやって来た火国山門の人である
・・・ 鸕鷀草葺不合尊が、日本書記の神代の巻、最後の王であり、神武天皇の父親である。但し、鸕鷀草
葺不合尊は、筑豊には居なかった。
・・・ 神武天皇の后が吾平津媛という。山鹿市の吾平山がある。神武天皇の父、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、
亡くなった後、吾平の山の上の陵に葬ったと日本書紀に書かれている。そこの 吾平山陵 がある。
神武天皇の父、鸕鷀草葺不合尊は、呉の人々がやって来た火国山門の人である。
● 神武天皇が、西の筑紫方面から東の豊国を攻めるのが、神武東征の本質である
・・・ 鸕鷀草葺不合尊の第四子として生まれた神武天皇が、東征をする。まず、鸕鷀草葺不合尊が、後八三年に
お佐賀の大室屋を攻略する。この事が日本書紀に書かれているが、ここが 吉野ヶ里遺跡 だろうと推測している。
お佐賀の大室屋を陥落させることで、神武天皇は、熊本県菊池・山鹿から筑紫の博多湾岸まで出ていく。
神武天皇は、その博多湾岸・糸島辺りから饒速日の建てた豐葦原瑞穗國を西から東へ攻めるというのが、
神武東征の本質だと言い続けた訳である。
・・・ この吉野ヶ里遺跡が、お佐賀の大室屋である。佐賀県の「佐賀」である。これを滅ぼした結果が「おしゃか
になる」という言葉の意味ではないだろうか。このような立派な宮殿が、一晩で壊滅した。おしゃかになった。
「仏」の字でいう「お釈迦になる」ではありません。