「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 倭歌が明かす豊国の古代史
(平成三一年四月二七日(土)、主催 中津地方文化財協議会、於:サンリブ中津2F 研修室)より
■ 豊国の天智天皇が山国町に吉野宮も造った
● 壬申の乱は、豊国に起きた事件である
壬申の乱も私の説では、滋賀県・奈良県で起きた事件ではなく、豊国で起きた事件である。
● 天智天皇は、倭国東朝(豊国)の天皇である
天智天皇も豊国にいた。その天智天皇が、狂心の渠や吉野宮を造っている。
狂心の渠は、香春町の宮原盆地の地下を流れている。これも間違いないと思っている。奈良県には、地下水路の跡はありません。
全長が、4kmの地下水路であることが、判っている。
● 吉野宮は、英彦山を越えた山国町にある
吉野宮は、どう考えても英彦山の南麓にある。『應神紀』に始めて出てくる。『斉明紀』に書かれている吉野宮は、実際には天智天皇が西暦656年に造ったようである。
吉野宮に壬申の乱の時には、大海人皇子(後の天武天皇)が入った。その時の歌が、万葉集二五番歌である。
吉野宮の場所は、山国町吉野地区にある若宮神社である。神社の前を流れている川が、吉野川である。その川の岸辺から拝殿までずーっと石段が続いている。
途中には、巨石がゴロゴロしている。登った最後、拝殿の手前には左右に石垣がある。
通説で言われている奈良県の吉野宮の模型は、ただの想像である。山国町吉野には、実際に若宮神社というお宮がある。
神社の周りには、四角い石垣があり大臣たちが住んだのではないかという屋敷跡も残っている。凄い大きさの規模である。
また、和同開珎という銅銭も天香山(=香春三ノ岳)の銅で作られているから天智天皇が豊国で作ったのであろう。