「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
倭歌が明かす豊国の古代史
※ 倭歌が明かす豊国の古代史
(平成三一年四月二七日(土)、主催 中津地方文化財協議会、於:サンリブ中津2F 研修室)より
■ 壬申の乱は、豊国で起き勝利した天武天皇は田川に宮を置いた
● 壬申の乱の舞台は、豊国である
これが、私が想像する壬申の乱の跡である。山国町吉野から平尾台にかけての戦いである。
● 天智天皇は病死ではなく、入水自殺した
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● 壬申の乱に勝利した天武天皇は、田川に都を置く
● 壬申の乱後に持統天皇も山国町吉野に来ている
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天武天皇は、壬申の乱に勝利した後、田川に都を置く。そこから皇后(後の持統天皇)と腹違いの六人の皇子を一緒に吉野宮にやって来て、不戦の誓いを立てる。
その時の持統天皇の歌が、万葉集二七番歌である。よく解らない歌である。まだ、この歌の解読に悩んでいる。
持統天皇は、日本書紀の中で31回も吉野宮と往復する。異常な天皇(女帝)である。持統天皇は、間違いなくこの山国町吉野に来ている。