「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
鷹羽の神々の盛衰に見る「王朝交替」
■ 田川の語源は鷹羽
● 景行天皇が、「鷹羽の国」と名付けた
・・・ 『田川郡誌』に採られている「我鹿八幡神社古縁起」の原文に返り点を打ちった、その訳文である。
大正時代に出来た田川郡誌に田川の語源がハッキリと書いてある。私も早くに気付いていたが、しかし、
それが何を意味するかというのに、二十数年かかった。
「豊前寶鑑」という本にまだたどり着けないが、同じように景行天皇が、「鷹羽」と名付けたとある。
『日本書紀』の景行天皇は、今から1800年前である。その時にすでに「鷹羽の国」と景行天皇が
名付けている。
私は、それ以上に古いと考えている。
二
一
二
一
二
一
二
一
下
二
一
中
上
二
一
● 景行天皇が田川から北九州にへ行ったことが、『日本書紀』に書かれている
・・・ 日本書紀に書かれている景行天皇が、賊を征伐していった土地をGoogleマップ上に記した。
これを見ると明らかに、景行天皇は、田川から北九州へと北上している。
大和朝廷が、本当に奈良県に興ったとして、当時の朝廷の中央官僚たちが、こんなに田川に詳しい
のですか?これは、田川に書かれたから詳しいのである。
● 『日本書紀 景行天皇紀』にある「高羽」は、「豊前国田川郡」である
● 『田川郡誌』にある景行天皇の田川の伝承は、「鷹羽」の表記である
・・・ 今の歴史学は、景行天皇は、架空の存在で神話の扱いであるが、ここ田川の土地では、ほぼ実在の
存在である。
我鹿八幡神社古縁起にある「鷹之靈異」の一節から英彦山の「鷹に化身した神々」にいったが、
「鷹羽の神」の存在については、日本書紀と奈良県には全く見当たらない。ハッキリ言って、日本書記
からは、消されている。