「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 鷹羽の神々の盛衰に見る「王朝交替」
  第15回古代史講座 古代田川を解き明かす
 (令和2年2月23日(日)、主催:田川広域観光協会古代史研究会、於:OTOレインボ―ホ―ル)より

 鷹羽の神々の盛衰に見る「王朝交替」

■ 鷹羽の神々の正体

● 添田町中元寺の成瀬神社の伝承に六月晦大祓に出てくる瀬織津姫の女神も登場する

・・・ 伝承地の金の原の東にある庄原遺跡からは、日本に2つしかない「やりがんな鋳型」が出土している。
    その「やりがんな」は、現在でも宮大工が仕上げに用いるカンナである。柱を削った後にピカピカの
   滑るくらいに削り上げる道具である。
    弥生時代、紀元前に添田町中元寺辺りにひょっとしたら柱がピカピカに削られた御殿が建っていた。
   我々が現在住んでいる木材建築あるいは、神社の建物と寸分変わらないくらいの非常に美しい立派な
   木造建築が建っていたという可能性がある。
    この伝承が、私にはどうしても作り話には思えない。

鷹羽の神々の正体
 添田町中元寺の成瀬神社の伝承に、「金の原(錦原)
に、日本で農耕の神と称えられる、伊勢神宮外宮の保
食神(豊宇気姫神)を先づ祀り、次に災難や穢れを祓
う瀬織津姫の神と、水門を司り、水を支配する速秋津
姫神を祀って、治水を果した
ということで、中元寺の
郷の、地形と、農耕文化発祥の過程が物語られている
ように思われます。」とある。
 金の原の東の庄原遺跡からは、金属溶解炉跡やり
がんな鋳型
が出土している。
 弥生時代の田川には農耕文化が発祥していて、豊宇
気姫神が祭られていたことは間違いなかろう。
写真「庄原遺跡のやりがんな鋳型」
写真「庄原遺跡の金属溶解炉跡」

 

● 英彦山の真ん中に祭られているのは、瀬織津姫であり、古事記の冒頭に出てくる天之御中主神である

・・・ 英彦山神宮の奉幣殿の横にも、水分神(みくまりのかみ)として、竜神が祭られている。瀬織津姫である。
   英彦山の真ん中の神は、現在は伊弉冉命であり、女神である。
    一番古い瀬織津姫という人々に仕合わせをもたらす女神が、実は英彦山の真ん中に祭られていたという
   可能性を昨年下半期に行った。
    瀬織津姫は、古事記の冒頭に出てくる天之御中主神でもある。

鷹羽の神々の正体
 六月晦大祓に現れる瀬織津姫(竜神・水神)
も祭られているが、豊の国の「織姫神」たちは
「人民の災いを祓い人民に仕合わせをもたらす
神」として様々の神徳(航海守護、祈雨、疫病
魔退散、五穀豊穣、機織等)を備え、現在も
全国に祭られている。
 英彦山にも「水分(みくまり)の神」として竜神の瀬織津
姫が祭られているらしい。
 現在の英彦山の三嶽に天忍穂耳命・伊弉冉命
伊・弉諾命が三羽の鷹神として祭ってあるが、
中岳の女神がどうやら瀬織津姫神であることが
分かってきた。
 熟考すると、古事記の冒頭の神のように思わ
れる。
 天地の初めて發けし時、高天原に成りし
神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日
、次に神産巣日神、この三柱の神は、
みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。

 

・・・ 彦御山宝印の真ん中の鷹が、女神である天御中主である。左右の鷹のどちか解りませんが、
   高御産巣日と神産巣日である。
    「鷹羽」が日本書紀の景行紀に「高羽」とあるように、古事記の御産巣日も本当は、御産巣日と
   すれば、最初から「鷹巣」と書かれている。鷹巣山の神である。
    添田町には、高御産巣日神と神産巣日神を祭った神社が沢山ある。古事記の冒頭の神は、田川の神、
   鷹羽の神であった。

    添田町の玉屋窟の中に残されていた絵に描かれているのは、法蓮上人である。この法蓮上人は、
   西暦720年に薩摩大隅の隼人を退治する時に作戦を授けた司令官のような人物である。薩摩大隅の
   隼人を全滅する手助けしたお坊さんである。この手柄によって、朝廷から「宇佐氏」が与えられた。
   宇佐八幡宮の開祖の人物である。
    その法蓮上人が、この玉屋窟で龍(瀬織津姫)から如意宝珠を授かっている。宇佐八幡と英彦山が
   ここで繋がっている。

英彦山の始原の神
「彦御山宝印」
絵「法蓮上人像」

右:法蓮上人(宇佐氏)
 玉屋窟で龍(瀬織津姫)から
 如意宝珠を授かる

上:彦御山宝印 ※中心の女神=天御中主
 「鎮西彦山縁起」の開山説話に基づく

 

● 大物主が祭られているから日子山である

・・・ 「日子遅の神は、出雲より倭国に上り坐さむ」とあり、倭国=豊国説であるから英彦山に来ている。
    古事記の冒頭にある「比古遲神」は、万葉仮名であるが、「八千矛の神」の段では、「日子遅の神」と
   表記されている。日子山の「日子」である。

倭成す大物主❘日子山の起源
 三柱の神の続きにこうある。
 次に国稚く浮ける脂の如くして、海月なす
漂えるとき、葦牙の如く萌え騰る物によりて、
成りし神の名は
宇摩志阿斯訶備比古遲神
次に天之常立神。この二柱の神もまた獨神と
成りまして、身を隱したまひき。
 上の件の五柱の神は、別天つ神
 葦牙とはおよそ水稲のことである。すると、
宇摩志阿斯訶備比古遲神とは我が国に稲をもたら
した神であり、弥生時代の始まりの神である。
 この「比古遲神」が古事記の「八千矛の神」
の段に別の表記で現れる。
 又其の神の嫡后須勢理毘売命、甚く嫉妬為
たまひき。
 故、其の日子遅の神和備弖、出雲より倭国
に上り坐さむ
 古事記の「大国主」の段にはこうある。

 

・・・ 大国主と大物主(大穴牟遅神)か一緒にされていた。大国主は、おそらく大物主の間違いである。
   あるいは故意に書き直してある。したがって、英彦山には、大国主は祭られていない。

    宇摩志阿斯訶備日子遲神 = 大物主神 = 大穴牟遅神(大己貴神)= 八千矛神 = 宇都志国玉神

  【本日訂正する改定点 ①】

    (文献)天照大神の子、天忍穂耳命(日子)が祭られている ⇒ 日子山

    (訂正)宇摩志阿斯訶備日子遲神 = 大物主神が祭られている ⇒ 日子

    *.土地の伝承ではなく『古事記』に「日子遲神」と書かれている。

倭成す大物主❘日子山の起源
 此の神、刺国大神の女、名は刺国若比売を
娶して生める子は、大国主神。亦の名は大穴
牟遅神と謂ひ、亦の名は葦原色許男神と謂ひ、
亦の名は八千矛神と謂ひ、亦の名は宇都志国
玉神と謂ひ、并せて五つの名有り。
 大国主はおそらく大物主の間違いである。ある
いは故意に書き直したようだ。
 古事記と日本書紀の「神代の巻」を丹念に読み
解くと、「宇摩志阿斯訶備日子遲神=大物主神=
大穴牟遅神(大己貴神)=八千矛神=宇都志国玉
神」の事実が復元された。
 英彦山は古くは「日子山」と云った。天照大神
の子、天忍穂耳命(日子)が祭られているからだ
とされてきた。
 だが、今回の探求からは「宇摩志阿斯訶備日子
遲神=大物主神=大穴牟遅神(大己貴神)」が祭
られていたから
だとなる。
 現に、英彦山の隣、鷹巣山の高住(鷹巣)神社
に「大穴牟遅神=豊日別国魂神(豊前坊)」が祭
られている。本殿が大穴の中にある。

 

・・・ 英彦山の隣、鷹巣山にある高住神社もたぶん鷹巣神社である。
   奈良県にある大神神社は、一輪の山で洞窟も無い。英彦山の鷹巣(高住)神社は、本殿が大穴の中にある。
    天埜貴子さんによると火山考古学の世界では、豊後の火山が噴火して火山弾(噴石)を飛ばす。
   そうすると木造建築は、屋根を貫通して、人間に当る。危ないからかつての貴人は、冗談抜きに洞窟に
   住んでいたらしいということである。
    大穴牟遅神は、一番偉い神であるから一番安全な大きな洞窟に住んでいたという可能性が窺える。
   これが、後に古事記・日本書紀で景行天皇の土蜘蛛退治の土蜘蛛と呼ばれたりする。冗談抜きにこの
   ような穴に暮らしていた人がいた。

英彦山豊前坊高住(鷹巣)神社
豊日別国魂神=大穴牟遅神
写真「英彦山豊前坊高住神社」

 

・・・ 高住(鷹巣)神社の神は、「倭成す大物主」である英彦山の豊前坊天狗神である。大天狗が手に
   するのが、鷹羽の団扇である。
    つまり、英彦山は、鷹羽の神々が宿る聖山であり、多紀理毘売命が祭られている玄界灘の沖ノ島と
   対応する物凄く大事なお山である。
    私は、大天狗の面の顔からインド・アーリア系の人だと言っている。二千数百年前にインドから
   渡ってきた神かも知れない。

倭成す大物主❘日子山の起源
写真「天狗面」
「鷹羽の団扇」
 高住神社の縁起には、「当神社は豊前坊天狗
としても有名で、欲深く奢りに狂った人には
天狗を飛ばせて子供をさらったり、家に火を
つけたりして慈悲の鉄槌を下し、心正しく信仰
する人には家来の八天狗をはじめ全ての天狗を
集めて願い事を遂げさせ、其の身を守る
と伝え
られてきました。」とある。
 この大天狗が手にするのが「鷹羽の団扇」で
ある。
 つまり、英彦山は「鷹羽の神々が宿る聖山
なのである。