「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
鷹羽の神々の盛衰に見る「王朝交替」
■ 鷹羽の神々の正体
● 添田町中元寺の成瀬神社の伝承に六月晦大祓に出てくる瀬織津姫の女神も登場する
・・・ 伝承地の金の原の東にある庄原遺跡からは、日本に2つしかない「やりがんな鋳型」が出土している。
その「やりがんな」は、現在でも宮大工が仕上げに用いるカンナである。柱を削った後にピカピカの
滑るくらいに削り上げる道具である。
弥生時代、紀元前に添田町中元寺辺りにひょっとしたら柱がピカピカに削られた御殿が建っていた。
我々が現在住んでいる木材建築あるいは、神社の建物と寸分変わらないくらいの非常に美しい立派な
木造建築が建っていたという可能性がある。
この伝承が、私にはどうしても作り話には思えない。
● 英彦山の真ん中に祭られているのは、瀬織津姫であり、古事記の冒頭に出てくる天之御中主神である
・・・ 英彦山神宮の奉幣殿の横にも、水分神(みくまりのかみ)として、竜神が祭られている。瀬織津姫である。
英彦山の真ん中の神は、現在は伊弉冉命であり、女神である。
一番古い瀬織津姫という人々に仕合わせをもたらす女神が、実は英彦山の真ん中に祭られていたという
可能性を昨年下半期に行った。
瀬織津姫は、古事記の冒頭に出てくる天之御中主神でもある。
・・・ 彦御山宝印の真ん中の鷹が、女神である天御中主である。左右の鷹のどちか解りませんが、
高御産巣日と神産巣日である。
「鷹羽」が日本書紀の景行紀に「高羽」とあるように、古事記の高御産巣日も本当は、鷹御産巣日と
すれば、最初から「鷹巣」と書かれている。鷹巣山の神である。
添田町には、高御産巣日神と神産巣日神を祭った神社が沢山ある。古事記の冒頭の神は、田川の神、
鷹羽の神であった。
添田町の玉屋窟の中に残されていた絵に描かれているのは、法蓮上人である。この法蓮上人は、
西暦720年に薩摩大隅の隼人を退治する時に作戦を授けた司令官のような人物である。薩摩大隅の
隼人を全滅する手助けしたお坊さんである。この手柄によって、朝廷から「宇佐氏」が与えられた。
宇佐八幡宮の開祖の人物である。
その法蓮上人が、この玉屋窟で龍(瀬織津姫)から如意宝珠を授かっている。宇佐八幡と英彦山が
ここで繋がっている。
● 大物主が祭られているから日子山である
・・・ 「日子遅の神は、出雲より倭国に上り坐さむ」とあり、倭国=豊国説であるから英彦山に来ている。
古事記の冒頭にある「比古遲神」は、万葉仮名であるが、「八千矛の神」の段では、「日子遅の神」と
表記されている。日子山の「日子」である。
・・・ 大国主と大物主(大穴牟遅神)か一緒にされていた。大国主は、おそらく大物主の間違いである。
あるいは故意に書き直してある。したがって、英彦山には、大国主は祭られていない。
宇摩志阿斯訶備日子遲神 = 大物主神 = 大穴牟遅神(大己貴神)= 八千矛神 = 宇都志国玉神
【本日訂正する改定点 ①】
(文献)天照大神の子、天忍穂耳命(日子)が祭られている ⇒ 日子山
(訂正)宇摩志阿斯訶備日子遲神 = 大物主神が祭られている ⇒ 日子山
*.土地の伝承ではなく『古事記』に「日子遲神」と書かれている。
・・・ 英彦山の隣、鷹巣山にある高住神社もたぶん鷹巣神社である。
奈良県にある大神神社は、一輪の山で洞窟も無い。英彦山の鷹巣(高住)神社は、本殿が大穴の中にある。
天埜貴子さんによると火山考古学の世界では、豊後の火山が噴火して火山弾(噴石)を飛ばす。
そうすると木造建築は、屋根を貫通して、人間に当る。危ないからかつての貴人は、冗談抜きに洞窟に
住んでいたらしいということである。
大穴牟遅神は、一番偉い神であるから一番安全な大きな洞窟に住んでいたという可能性が窺える。
これが、後に古事記・日本書紀で景行天皇の土蜘蛛退治の土蜘蛛と呼ばれたりする。冗談抜きにこの
ような穴に暮らしていた人がいた。
・・・ 高住(鷹巣)神社の神は、「倭成す大物主」である英彦山の豊前坊天狗神である。大天狗が手に
するのが、鷹羽の団扇である。
つまり、英彦山は、鷹羽の神々が宿る聖山であり、多紀理毘売命が祭られている玄界灘の沖ノ島と
対応する物凄く大事なお山である。
私は、大天狗の面の顔からインド・アーリア系の人だと言っている。二千数百年前にインドから
渡ってきた神かも知れない。