「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 白村江の戦い 御笠団と遠賀団

※ 白村江の戦い 御笠団と遠賀団
 (令和二年九月一八日(金)収録、第17回 古代史講座、主催 田川広域観光協会、撮影・編集 豊の国古代史研究会)より

■ 白村江の戦い

白村江の戦い

⑤ 天智二年(663)秋八月壬午朔戊申(二十七日)倭国本朝、白村江に敗戦
 筑紫君薩野馬、唐の捕虜のまま敗戦を知る。

 愈々、白村江の戦いに突入する。その年は、天智二年(663年)でこの年は動かない。この663年が動いたら信じる所が無くなる。
 「秋八月壬午朔戊申に倭国本朝が、白村江に敗戦」というのが、私の見解である。白村江で戦ったのは、御笠団ではなかったのか。
 その時、筑紫君薩野馬は、660年に唐軍の捕虜となっているから捕虜のまま、敗戦を知ったことになる。

 

『唐書』が記録する「白江の戦」

『旧唐書』の『劉仁軌(唐の武将)伝』では、663年に

『仁軌遇倭兵於白江之口 四戰捷 焚其舟四百艘 煙焰漲天 海水皆赤 賊众大潰 餘豐脱身而走』

(劉仁軌軍は白江口で倭兵と出会い四戦とも勝った。四百艘の舟は燃え上がり海水は真っ赤に染まった。賊は大敗し、扶餘豊〈百済王子〉は逃げ去った)

 私は、中国の正史に強いので、ここからが、私の真骨頂である。『唐書』には、『旧唐書』と『新唐書』がある。

 『旧唐書』の『劉仁軌(唐の武将)伝』によれば、「四百艘の舟」と書かれている。

 この時に白村江で戦ったのは、倭国本朝も倭国東朝も関係はない。倭国が戦ったのである。

 

『唐書』が記録する「白江の戦」

『旧唐書』(九四五年完)

① 本紀高宗
 『顯慶五年八月庚辰 蘇定方等討平百濟 面縛其王扶餘義慈』
 (「百済義慈王は降伏した」のみで、白江の戦いの記述はない)

② 列伝劉仁軌伝
 『仁軌遇倭兵於白江之口 四戰捷』
 (仁軌は倭兵に白江の河口で出会った。四戦勝った)

③ 列伝東夷百済国
 『仁軌遇扶餘豐之衆於白江之口 四戰皆捷』
 (仁軌は百済豊が率いる一軍に白江の河口で出会った。四戦皆勝った)

 

『唐書』が記録する「白江の戦」

『新唐書』(一〇六〇年完)

④ 本紀高宗
 『龍朔三年九月戊午 孫仁師及百濟戰于白江 敗之』
 (「孫仁師と百済は、白江で戦いこれを退けた」のみで、倭国との戦いの記述は
 ない)

⑤ 列伝劉仁軌伝
 『遇倭人白江口 四戰皆克』
 (白江の河口で倭人に出会った。四戦皆勝った)

⑥ 列伝百済
 『豐众屯白江口 四遇皆克』
 (白江の河口に豊がいた。四戦皆勝った)

 

『三国史記』が記録する「白江の戦」

『三国史記』(一一四五年完)

⑦ 新羅本紀文武王
 『扶餘豊脱身走』
 (「百済豊が逃げた」のみで、白江の戦いの記述はない)

⑧ 新羅本紀文武王大王報書
 倭船千艘 停在白江 百濟精騎 岸上守船
 (倭の船千艘が白江に停泊し、百済の精兵が岸からこれを守っていた

⑨ 百済本紀義慈王
 『遇倭人白江口 四戰皆克』
 (白江の河口で倭人に出会った。四戦皆勝った)

 今日の講演の後半のメインイベントである。

 『三国史記』⑧新羅本紀文武王大王報書に「倭船千艘」と書かれている。百済と仲が良かった倭国本朝の船は、合計千艘である。

 

御笠団 と 遠賀団

仁軌遇倭兵於白江之口 四戰捷 焚其舟四百艘 煙焰漲天 海水皆赤 賊众大潰 餘豐脱身而走

倭船千艘 停在白江 百濟精騎 岸上守船

※ 千艘-四百艘=六百艘

御笠団印

銅印「御笠団印」

遠賀団印

銅印「遠賀団印」

 『旧唐書』、『三国史記』の繰り返しである。

 『旧唐書』には、「四百艘の舟は焚かれ、煙と焰が天に漲ぎり海水が赤くなった。四百艘の舟の人々は、潰えた。餘豐は、脱走した。」とある。
 『三国史記』には、「倭船千艘が白江に停泊し、それを百濟の精騎が、岸上から船を守っていた」とある。

 船の数の算数である。
 ※ (合計)千艘 - (焚かれ)四百艘六百艘(何をしていたのか?)

 六百艘の船は、沈んでいない。燃えていない。負けていない。もっとハッキリ言えば、何もしていない。という事は、無傷で帰ってきている。

 天智天皇は、白雉年間に遣唐使を出していて、唐・新羅と密約を交わしていたと新聞記事に書いた。だから、焼かれた四百艘の船は、御笠団つまり倭国本朝の近衛師団である。
 残りの六百艘の船は、遠賀団ではないか。何も戦わなかった。沈まなかった。無傷で帰ってきた可能性がある軍団=遠賀団。帰ってくれば、そこには天智天皇はいる。

 これが、私があちこちの歴史書をひっくり返し、単純な算数と大宰府から出土した2つの銅印についてくわえた考察の結果である。
 遠賀団は、無傷で帰ってきた。筑紫君薩野馬は、未だ長安で虜の身である。