「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 白村江の戦い 御笠団と遠賀団
 (令和二年九月一八日(金)収録、第17回 古代史講座、主催 田川広域観光協会、撮影・編集 豊の国古代史研究会)より

 白村江の戦い 御笠団と遠賀団

銅印〈印文「御笠団印」)

御笠団印

銅印〈印文「遠賀団印」)

遠賀団印

福永晋三
記紀万葉研究家
神功皇后紀を読む会・主宰
撮影・編集 豊の国古代史研究会
主催 田川広域観光協会
第⒄回 古代史講座
令和二年九月一八日(金)収録

 白村江の戦い
     御笠団
遠賀団 

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 私の講演の前に国立天文台の谷川清隆先生に歴史天文学から日本書紀を解くというか、白村江の戦いにおいて天群の人々と地群の人々がいて、新羅を憎んだ。また、新羅と結んだという通説の日本史には無い観点を提供頂いた訳である。

 私もまた、谷川清隆先生違った方向で白村江で戦った人々と戦わなかった人々がいたということを言っている。今日は、今までに話してきた内容を谷川先生の内容に合わせながら焦点を絞って話したいと思っている。

 まず、講演の題名「白村江の戦」で、谷川先生と共通ですが、私の場合には、「御笠団遠賀団」という副題が付いています。
 表紙のスライドの左側にある写真は、大宰府の今の条里制(条坊制)の北西の角の辺りで出土した「御笠団印」「遠賀団印」と呼ばれる2つの銅印である。
 この2つの銅印について、今まで論じてきた方はいなかったが、私は、この銅印から白村江の戦いに備えた2つの軍団が存在したと日本で初めて言わせてもらった。今日の講演の内容は、この点に集中して話します。

 

● 教科書の図録に載っている「白村江の戦い」

白村江の戦い
教科書「白村江の戦い地図」
教科書「白村江の戦い」

 通説の上図にある解説コメントは、省略。

 白村江で唐・新羅連合軍と戦った倭国の人々とは、谷川先生のいう天群の人々でしょうか?地群の人々でしょうか?という事も関わって、福永説も加えて話したいと思う。

 

● 白村江の戦い前夜の倭国地図

天物部氏(遠賀団)が筑紫側に就く
白村江の戦い前夜
 倭国地図(法興元591以後)
Google Earth「福岡県Flood Maps」

倭国本朝

倭国東朝

 法興元年(西暦591年)以後の福岡県の地図である。その福岡県の西側に倭国本朝があり、中心地は大宰府である。
東側にある倭国東朝の中心地は、田川である。

 法興元年(591年)より前になるが、蘇我氏と物部氏が戦って、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしたという大事件があった。
 物部氏の本家が蘇我氏に滅ぼされた事により、物部氏の本拠地である古遠賀湾(遠賀川流域)にいた物部氏一族(遠賀団)が、倭国本朝(筑紫側)に就いたというのが、私がこの国で初めて出した見解である。
 ここからがもうすでに白村江の戦いへと繋がっていく地図である。これが、谷川先生の天群、地群というのとどの様に関わるのかお楽しみである。

 

・・・ 阿毎多利思比孤と推古天皇は、同時代の人物であり、『日本書紀』推古16年の記事と『隋書』
   俀國傳の記事は、対応している。

・・・ 唐の高表仁の記事から、倭国本朝は唐と敵対し、倭国東朝は友好的であったことが窺える。

・・・ 倭国東朝は京師を遠つ飛鳥から近つ飛鳥へ遷都しているが、倭国本朝は大宰府から動いていない。

・・・ 白村江の戦いの前に、倭国本朝の京師、大宰府を守る水城は既に造られていた。更に全長51km
   に及ぶ羅城も造られていた。
    また、倭国東朝(豊国)では、天智天皇が「狂心の渠」と呼ばれる地下水路の建設や日本で始めて
   漏刻を作った。

・・・ 『旧唐書』、『三国史記』の記事と大宰府から出土した御笠団印と遠賀団印という2つの銅印が
   意味する白村江の戦い。

・・・ 唐の羈縻政策により倭国本朝の都、大宰府は占領される。倭国東朝の天智天皇は、菟道宮で唐軍
   を閲兵し、更に赤村の琴弾瀧で宴会を催す。
    大皇弟(大海人皇子)は、白村江戦の翌年、664年に帰朝した筑紫君薩夜麻ではないか?

・・・ 天智天皇九年(670年)に日本国が始まった。後、こぼれ話であるが、「白鳳」は、天智天皇の
   年号か? 天智天皇の時の「中元」という年号の地名が田川にある。

 

● 2つの倭国本朝・倭国東朝 から 日本国へ

 天智天皇が、ナンバーワンとなった。倭国本朝の筑紫君薩野馬は、豊国に来て一元化された日本国で、天智天皇のナンバーツーである大皇弟として働き、後に壬申の乱でまた、天下を覆した。
 今日は、ここまでである。

日本舊小國、併倭國之地。(旧唐書)
おわり
 日本国地図
Google Earth「福岡県Flood Maps」(日本国地図)

 日本国の地図では、倭国本朝と倭国東朝の国境線が消えた。これが、私の「白村江の戦い 御笠団と遠賀団」という田川の現地伝承を抜いて『日本書紀』は理解出来ないという一大イベントを終わる。