「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 邪馬台国研究 戦後の諸問題

※ 邪馬台国研究 戦後の諸問題
 (令和二年霜月二〇日収録、第18回 古代史講座、主催:田川広域観光協会、撮影・編集:豊の国古代史研究会)より

(序章) 令和も続く「墨塗り教科書」

 戦後直ぐに「墨塗り教科書」という物が出された時の文部省の記録である。

序章 令和も続く「墨塗り教科書」

国民学校「初等科国語」五~八の墨塗り教科書の実情について

菅  修 一(2015花園大学文学部研究紀要)

3.墨塗りについての二つの文部省通牒

(1) 昭和20 年9 月20 日文部次官通牒「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件」本通
  牒(以下、第1 回指令と記す)の概略を説明すると次の通りになる。

  国民学校、中等学校及び青年学校の教科書は終戦後も継続使用するが「戦争終結ニ
 関スル詔書」の意図するところに対応して、削除または取扱上注意すべき基準
が示さ
 れた。即ち、次の5つの観点である。

(イ)国防軍備等ヲ強調セル教材

(ロ)戦意昂揚ニ関スル教材

(ハ)国際ノ和親ヲ妨グル虞アル教材

(ニ)戦争終結ニ伴フ現実ノ事態ト著ク遊離シ又ハ今後ニ於ケル児童生徒ノ生活体験ト
   甚シク遠ザカリ教材トシテノ価値ヲ減損セル教材

(ホ)其ノ他承詔必謹ノ点ニ鑑ミ適当ナラザル教材

 

序章 令和も続く「墨塗り教科書」

(2) 昭和21 年1 月25 日教科書局長通牒「国民学校後期使用図書中ノ削除修正箇所ノ件
  」本通牒(以下、第2 回指令と記す)は、その本文中に「連合国軍最高司令部ノ承認
  ヲ得決定致シタル」とあるように、占領軍GHQ/SCAP の意向を受けたもの
である。
   また、国民学校後期使用国語(初等科第一学年乃至高等科第一学年用)及び算数
  (初等科第三学年乃至第六学年用)について具体的に削除修正箇所を示している。

  中村は第1 回指令と第2 回指令とを比較し、第2 回指令で新たに全文削除を指示さ
 れた教材
として、皇室や神道に関するもの、歴史的な戦記物があるとしている。

 

 第2回指令で新たに全文削除を指示された教材として、皇室や神道に関するもの、歴史的な戦記物の実例として、墨が塗られた教科書の中に「二 水平の母」のタイトルだけ見えている。本文は、全部墨が塗られている。

序章 令和も続く「墨塗り教科書」

「部分墨塗り」のサンプル
「全面墨塗り」のサンプル

 

序章 令和も続く「墨塗り教科書」

● 習俗にも「バンザイ」にも墨が塗られた

 例のウサギが途中で昼寝して、亀に抜かれる話です。最後に勝った亀が「バンザイ」と叫びます。
 その「バンザイ」がいけないということで、墨を塗られたうえに「ウサギサン」という掛け声に変わっています。

 さらには、日本独自の習俗にも墨は塗られました。

 「村のちんじゅの神様の、今日は、めでたいお祭り日。どんどんひゃらら、どんひゃらら、どんどんひゃらら、どんひゃらら、朝から聞こえる笛たいこ。としも豊年満作で、村はそう出の大祭り。どんどんひゃらら、どんひゃらら、どんどんひゃらら、どんひゃらら、夜までにぎわう宮の森……」 ※ 全文削除

 正月に神だなを飾る話、坑道に入る鉱員が神だなに向かって無事を祈る場面など、およそ神道に関わる場面はすべて墨塗りになりました。

 

 いつまでも「墨塗り教科書」では、いけないという事で「暫定国史教科書」が編纂された。田村孝氏が、その目録を写真に残されていた。
 しかし、その「暫定国史教科書」は、占領軍に認められなかった。

序章 令和も続く「墨塗り教科書」

國史教育から歴史教育へ(その2 ・完)

時代による変化と現代的課題について  田村 孝(2015敬愛大学国際研究/第28 号)

(3) 暫定国史教科書の編纂

暫定国史教科書の目録ページ

 

序章 令和も続く「墨塗り教科書」

「一 國の基」の部分には問題がある。ここでは、大和朝廷の起源は九州にあるとされ、以下のように叙述がつづいている。

 古い傳へによりますと、わが神話で、ニニギノ尊の後といはれる神武天皇は、しばらくゆかりの深い日向にあつて政をおとりになつてゐましたが、やがて兄君と御相談の上、大八洲のなかほどに移ることをお考へになりました。
 ここに多くの人たちを引きつれ、日向を御出発になり瀬戸内海の地方を從へながら、長い年月を重ねて難波にお着きになりました。
 めざす大和の國境では長すね彦といふ豪族が、地の利にたよつて御軍に手むかひました。
 やむなく天皇は海路を紀伊の熊野へと、おまはりになりました。

 

序章 令和も続く「墨塗り教科書」

「二 祖先の傳へ」のある箇所では以下のようになっている。

 …… 遠い遠い神代の昔、伊弉諾伊弉冉の二神は、美しい大八洲國をお生みになり、これを御子天照大神にお傳へになりました。
 大神は御徳きはめて高く日神とも申しあげるやうに、御惠みは廣く大八洲にあふれました。
 大神は御弟素戔嗚尊を始め奉り、多くの神々をひきゐて高天原にあらせられましたが、さらにこの大八洲を安らかな國になさらうとして御子孫をこの國土にお降しになることをお考へになりました。

※ 占領軍に認められなかった「暫定国史教科書」

 この方針が、戦後史学の源流である津田左右吉説につながっているから、序章で令和も続く「墨塗り教科書」とした。