「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 邪馬台国研究 戦後の諸問題
(令和二年霜月二三日収録、豊の国古代史研究会有料配信)より
万葉仮名「伊都」 / 邪馬台国の読み方
万葉仮名の「伊都」は、邪馬台国研究と深く関わってる。何度も言ってきているが、「伊都」は「いつ」と読む。下記は古事記の中から「伊都」の用例を中巻の垂仁天皇記まで追いかけて取り上げたものである。
「伊都二字は音を以いよ」と万葉仮名の「伊都」を知っていた太安万侶が、古事記の序文に音と訓で表記したと書いている。
我々は、当然、古事記の中で「伊」と「都」の組み合わせは、「いつ」と読んでいて一つも例外が無いから、魏志倭人伝の中にでてくる「伊都国」は、「いと国」ではなく「いつ国」と読むべきだと言い続けた訳である。
太安万侶は、8世紀の人物であり、古事記が完成したのは、713年である。この時点で「伊都」は、全て「いつ」である。だから、魏志倭人伝の「伊都国」も「いつ国」ではないですか。「伊都国」以外の読み方は、無いと思う。
日本書紀にある万葉仮名「伊都」の用例である。垂仁紀にある都怒我阿羅斯等の記事である。
崇神天皇の時に、都怒我阿羅斯等が角鹿(敦賀)へ行った記事である。意富加羅國から来た都怒我阿羅斯等を最初に迎えた王が、伊都都比古である。
余談になるかも知れませんが、香春町に鶴我さんという家がある。その鶴我家に伝わる家系図に、「鶴我家」と書かれた下に「都怒我号角鹿」、「敦賀大神」と書かれている。その系図の始祖は、「阿羅斯等」と書かれているから「都怒我阿羅斯等」となる。
日本書紀の垂仁天皇紀に出てくる名前をピタッと重なっている。現在の香春町の鶴我家は、この系図はもちろん本物だと思うが、本物であれば日本書紀に出てくる都怒我阿羅斯等のご子孫の方が香春町にいらっしゃる事になる。これは、現地伝承である。
ひつこい位、万葉仮名「伊都」について述べる。今度は、『播磨国風土記』にある「伊都」の用例である。
「何時か・・・ここに着いて」とある。だから、伊都村という。と書かれている。ここにある「伊都」を誰が「いと」と読みますか?
日本の古典(古事記・日本書紀・風土記等)のあらゆる所から引き出しても「伊都」は全部「いつ」である。「いと」と読んだ例はひとつも無い。
「伊都」を魏志倭人伝だけで解いてはいけないという私の主張の根拠である。
日本国語大辞典に載っている万葉仮名「都」については、11月1日にも出したが、「都」という字から平仮名「つ」もカタカナ「ツ」も出来ていると当たり前の事を述べただけである。
「邪馬台国」の読み方についても何度も出している。次は、日本武尊が、伊吹山の神に敗れて能煩野で亡くなっていく時に読んだ思國歌である。
倭(夜麻登)は 國のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 倭しうるはし
ここに示した古事記では、「倭」以外は原文を外しているが、「やまと」は「夜麻登」とある。「と」に「登」の字を使っている。
ところが、日本書紀の景行天皇紀にある同じ倭歌では、「夜摩苔波」の「と」に「苔」の字を使っている。
夜摩苔波 區珥能摩倍邏摩 多多儺豆久 阿烏伽枳 夜摩許莽例屢 夜摩苔之 于屢破試
と書かれている。「と」は「苔」の字である。「台」の字に「艹」が付いた「苔」の字でも「と」である。ここに注目をしてもらいたい。
古事記と日本書紀の中で、万葉仮名「と」に使われている字の統計を取られた方がいる。古事記で一番使われているのは、先ほどの「倭(夜麻登)」の「登」の字である。
日本書紀での「と」の字に一番使われているは「等」で、2番目が「苔」の字である。「夜摩苔波」の「苔」である。
日本書紀のもう一つの用例は、かなり古い神代の「巻一 第七段 一書第三」にある。
注の部分に「興台産靈」は「此云許語等武須毘」とある。万葉仮名で「と」の字に「等」が使われている。原文に「興台産靈」とある「台」の字は、明らかに「と」である。
いつも言っているように私は、何も創作をしていない。これは、日本書紀に書かれている事をそのまま出しただけである。
したがって、「台」の字は、「と」と読む。注釈に所に万葉仮名で「等」の字が使われているから明らかである。
万葉仮名に「台」の旧字の「臺」が使われている用例が、時代がずーっと下った平安時代の続日本後紀の中にある。仁明天皇の40歳のお祝いの時に興福寺の大法師が言祝ぎをした。
そこで、長歌を歌っているが、その出だしの「日本乃」に「ヤマト」と書かれているが、本来は「日本乃(ヒノモトノ) 野馬臺能國遠(ヤマタイトノクニヲ)」という文句で始まっている。「ヤマト」の「と」に使われている「臺」は、「台」の旧字である。
平安時代においてもまだ、「臺」という字を「と」という音仮名に使っている。
私は、講演において「臺(台)」の字を「と」と読むと簡単に言ってきたが、これだけ広範囲に日本の古典を読み続けて、このような用例を拾い出して、これを根拠にして講演で述べている。
講演の中で、古典の原文の中身ばかりを言っていると嫌がられる思うので、あっさりと邪馬台国の「台」は「と」読むんだとしか言わないのである。