「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
前回、11月20日に田川広域観光協会の第18回 古代史講座で、「邪馬台国研究 戦後の諸問題1」と語っている。その簡単な要約をして今日の本題に入る。
・オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこし
・教科書から削られた「神武~神功」(前期・中期の古墳) ・三国志のイデオロギー
・むすび 偽史はどっちだ⁉
●「邪馬台国研究 戦後の諸問題2」 (第一部)
考古学の問題から話す。つい最近、『考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国』という本が、梓書院から出版された。
纒向遺跡を発掘された方(関川尚功) が、出した本のタイトルである。
この本の目次を記したが、その第Ⅶ章を赤字で示した通り「考古学が示す邪馬台国大和説の不成立」であると著者の関川尚功氏が書いている。
考古学から見た 邪馬台国大和説
畿内ではありえぬ邪馬台国
関川尚功 著
2020年9月20日発売 梓書院
目次
第Ⅰ章 邪馬台国と大和の考古学
第Ⅱ章 大和地域の弥生時代遺跡
第Ⅲ章 纒向遺跡の実態
第Ⅳ章 大和地方の遺跡動向と邪馬台国
第Ⅴ章 箸墓古墳と邪馬台国
第Ⅵ章 箸墓古墳と古墳出現年代
第Ⅶ章 考古学が示す邪馬台国大和説の不成立
第Ⅷ章 邪馬台国の位置と今後の行方
著者略歴
関川尚功(セキガワヒサヨシ sekigawahisayoshi)
1951年、長野県生まれ。関西大学文学部史学科卒業。 1974年、奈良県立橿原考古学研究所入所。学生時代を 含め約40年、大和の遺跡や古墳の発掘と検討に携わる。 纏向遺跡、藤ノ木古墳、太安萬侶墓などの調査に従事。 2011 年橿原考古学研究所を退職。 著作に、石野博信先生と共著『纏向』、橿原考古学研究所の論文掲載多数。
箸墓(箸陵)については、日本書紀の中で崇神天皇紀と天武天皇紀の2回出てくるという事を話した。
11月1日にも日本書紀の成立について、福永説は以下の通り一見すると飛んでも無いことを述べている。
(参1)
天皇家の支配の正統性を裏づけるため、天武天皇は『帝紀』『旧辞』を修正し(これを「削偽定実」という)、稗田阿礼に誦習(単なる暗誦ではなく、諸家においてバラバラであったものを一つに定めることを意味する)させた。
上記の番号を付けた ①天智天皇は玄界灘に入水、②藤原京、③平城京の3点について、少し証明していく。
*.ここから、今日の本論に入っていく。
・万葉仮名「伊都」(古事記)、(日本書紀)、(播磨国風土記)
・万葉仮名「都」(日本国語大辞典) ・邪馬台国の読み方 ・万葉仮名「と」(記紀)
・万葉仮名「台」(日本書紀) ・万葉仮名「臺」(続日本後紀)
●「邪馬台国研究 戦後の諸問題2」 (第二部)
「記紀と筑豊の古伝承」の関りを後半、詳しく述べていく。
11月1日の田川古代史フォーラムにも出したが、「田川の語源は鷹羽 天武が隠した鷹羽の神々」という事で、香春町の北方にある龍之鼻権現縁起であるから最初から筑豊(田川)の古伝承である。
この縁起の中で大事な所は、「彦山に田心姫命がいるので、田心乃国と云った」とある。次に「其山に三乃あやしき峯(英彦山)ありて鷹・・・鷹の羽乃落ちたる所かならず幸あればとて、落ちるかぎりの里を又鷹羽郡と云」。それを「白鳳の比(天武天皇の頃)おひよりや、田川郡と名付た」事は、「田と河」で十分であるからという事を言った。
つまり、天武天皇が鷹羽の神々。鷹羽の地名その物を隠したという古伝承である。これも筑豊(田川)の古伝承の一つである。
彦御山宝印より鷹羽の神々について、古事記の冒頭にある別天神五柱の中の三柱の神が、元々は英彦山に祭られていた神であると、ここ1、2年のテーマとして言い続けている。
この古事記の大国主の系譜については、前回は出さなかったが、この系譜にある赤枠で囲んだ「大国主の神」の所に入るのは、「大物主神」である。
多紀理毗売の命は、大物主神の妻である。したがって、古事記には、大国主神が書かれているが、これは間違いである。大国主神は、大物主神の子孫という事で、系譜のズーッと後に行かないといけない。大物主神から大国主まで十七代くらいあると言った。
大物主神が、最初に倭国を造ったので、大倭國という言い方がある。これが、後に大和となって、我々が良く知る宇宙戦艦「大和」(戦艦「大和」)にもなった。
※ 当初の無料動画の部分の説明は終了。 その後、ページ作成出来ていません。
「偽史はどっちだ⁉」。教科書ですか? 私ですか? 以上で終わります。