「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 邪馬台国研究 戦後の諸問題
(令和二年霜月二三日収録、豊の国古代史研究会有料配信)より
邪馬台国研究の「杜撰」
音訓についてのまとめみたいなものである。ここで、邪馬台国研究の「杜撰」としたのは、通説の研究者であろうと邪馬台国九州説の研究者であろうと漢字の読みに関して、杜撰である。
杜撰の意味についてもう一度考えてみる。「① 詩文などで、典拠の正確でないことを述べること。あやまりの多い著作。」とあるこの後にも意味が続く。例えば、杜撰な工事と言うように使われる。いい加減な工事。手抜き工事の事である。
杜撰の由来は『野客叢書』にあるが、唐時代の後、宋時代の詩人である杜黙が作る詩は、漢詩のきまりを守っていないものが多かったので、きまりに合わないもののことを「杜撰」というようになったとある。
また、ことばの由来については、他の説もあります。とあるが、唐時代の漢詩のきまりについて、前回話をした。
「魏志倭人伝は誤字だらけ」の説明に、李白の詩「早發白帝城」を出した。邪馬壹国の「壹」と同じ「一」は、平仄法の仄(傾いた)である。
また、「二四不同」という二字目と四字目は違う平仄にする。七言詩の場合には、「二六対」という二字目と六字目を同じ平仄にする事を説明した。
他に「弧平・弧仄を忌む」とか「下三連を忌む」と訳の解らない事を書いている。要するに物凄くきまりが難しい。複雑である。
次の出した杜甫の詩「登高」の中に邪馬臺国の「臺」の字が出てくる。この「臺」の字は、平(平声)である。四声を平(平声)と仄(上声・去声・入声)に二分して、この声を詩の中にどのように配置すれば、音楽の和音のように美しく響くかと李白や杜甫達は、言葉を連ねた訳である。
しかし、杜黙はこの唐詩のきまりを守れなかった。だから、杜黙が作った詩を杜撰というようになった。
申し訳ないが、邪馬台国を研究している先生方も中国の古典や日本の古典において、そこに使われている漢字音の研究について、やはり杜撰だったのではないでしょうか?
今日の「邪馬台国研究 戦後の諸問題2」の第一部は、これで終わる。
最後の范曄後漢書李賢注にある「邪馬臺國」の注に「邪摩惟」が出てくる訳も前回説明している。
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