「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
神武東征謀議
橿原神宮にある神武天皇御一代記御絵巻の「二:神武天皇 高千穂宮に於ける東征御前會議」に描かれているのが、通説のイメージである。
神武天皇が東征を開始する前の九州島の領土は、免田式土器の広がり方から見ても鸕鷀草葺不合尊と神武天皇が山鹿の日向から吉野ヶ里等の肥前国を平らげて、筑紫・西洲へ入った時までを示している。これが、「壱」と「弐」 までの話である。
九州島の西半分(半分以上)を領有した神武天皇が目指すのは、饒速日尊の建てた豐葦原瑞穗國(倭奴國)、つまり豊国である。
神武天皇は、いよいよ筑紫から倭国に東征する。私は、倭国=豊国説を唱えているように神武天皇は、豊国を征伐していくのである。
その最初が、筑紫高千穗の宮(高祖神社)での神武東征謀議である。
古事記に「東に行かんと思ふ」とあるように東征である。筑紫(西の位置)から豊国へは東に行くことになり、私は「神武は筑豊に東征した」という話をし続けている。
古事記は、非常に簡単に書かれているが、これが東征謀議である。
東征謀議について詳しく書かれている日本書紀を追いかけていく。
神武天皇が、年十五で太子になってから、四十五歳まで一気に飛ぶ。
青字の「天祖彦火瓊々杵尊に授けき。」の部分は、筑紫側の神である。天神降臨という高皇産靈尊以降の豊国へ降臨した事業を糸島側(筑紫側)の瓊々杵尊の業績に切り替えようとしている。これが、古事記・日本書紀の意図である。
「豐葦原瑞穗國を・・・天祖彦火瓊々杵尊に授けた」と日本書紀は意図され記されている。天武天皇の詔勅である「偽を削り、実を定む」と言った古事記の編集方針にある。この編集方針を分析すると「豊国の神々と天皇の歴史を 削り、筑紫国の神々と天皇の歴史を定める」ことを定着させるという図り事である。
これが、古事記・日本書紀のイデオロギーである。正にここで、天神の業績を筑紫側の神の業績に置き換えている。
次の「此の西の偏を治す。」は、瓊々杵尊が豊国の西の偏を治めたという事を書いている。
最後の一節は、この時には倭奴國も筑紫側も国の中が色々と乱れていたという事が粗方書いている。
この記事の最後にある「是の年、太歳甲寅」という干支より、直ぐに西暦114年を割り出し、第一次(倭奴國)東征を図ると言い続けている。
※「神武東征謀議 筑紫高千穗の宮」のスライドの内容については、動画を視聴して下さい。
この『東に美し地有り。青き山四に周り、其の中に亦天磐船に乘りて飛び降る者有り』という記事は、私が言う所の饒速日尊の天神降臨という大事業の事であり、勿論、田川(鷹羽國)での話である。
『日本書紀』神武天皇即位前紀の始めには、このような神武東征謀議(東征の会議について)の事が書かれているが、通史の先生方も現在の教科書も何一つ扱わない。というのは、神武天皇は架空の存在であるから。