「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
神武第一次東征失敗
神武第一次東征の比定地
神武天皇聖蹟調査報告
<聖蹟伝説地>
・孔舎衛坂
(大阪府中河内郡孔舎衙村。
今の枚岡市日下町)
<聖蹟・聖蹟推考地>
・崗水門(福岡県遠賀郡蘆屋町)
・竈山(和歌山県和歌山市)
・盾津(大阪府中河内郡孔舎衙村)
<未決定地>
・高千穂宮 ・岡田宮
<福永説>
・孔舎衛坂
(未詳。孔舎衙の表記あり。
神武の筑紫北伐時の戦いか?)
・草香津(福岡市大濠公園大濠池)
・崗水門(福岡県遠賀郡蘆屋町)
・岡田宮(芦屋自衛隊基地内)
・竈山(太宰府市宝満山)
・盾津(未詳、大濠池の付近か。)
・高千穂宮(糸島市高祖神社)
全国の学者たちが探せなかったものを捜したのである。それは、だた舞台を福岡に置いただけであった。それで、今日の纏めは、竈門神社の由緒にある。
ここに第二次東征の祈願をした事があり、神武東征の「肆」につづく。
神武第一次東征で、神武天皇は遠賀湾に突入して敗れて、博多湾に戻ってくるので、神武天皇の勢力地図は、この地図のまま変わらない。
次に神武天皇は、いよいよ「 日を背にして戦う神策」を実行する。それは、どういうルートで豊国(豊葦原水穂國=中州)を攻めたのかという神武東征「肆」へ続く。