や
ま
と
「邪馬台国=倭国」は、豊国説 (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
神武天皇紀と中国史書との関連
※ 2008年版「神武は筑豊に東征した」、「邪馬臺国年表」の改訂版
日本書紀から神武崩御後に、2代手研耳命が即位している事が読み取れる。
神武天皇の元年の干支は「辛酉」。それから崩御の神武七十六年の干支は、「丙子」が当たる。それから満三年後の干支が「己卯」である。
※ 時代順に①〜④の番号を付けた(倭国の国号の移り変わり)
弥生時代の倭国 = 豊国の歴史
弥
生
前
期
弥
生
中
期
前
660
前
300
前
100
前
14
後
57
① 大物主 八千矛の時代
(大倭豊秋津洲、玉牆の内つ國)
火カグツチ(火男)
八俣の大蛇(八幡神)「天叢雲剣」
② 伊弉諾尊 細型銅剣の時代
(大八洲国、浦安國、細戈千足國)
遠賀川式土器 立屋敷遺跡
すずり、鋳造鉄斧 下稗田遺跡
前漢式鏡、刀子、絹 立岩遺跡
素戔嗚尊出雲王朝を創建
③ 天照大神(饒速日命)笠置山
に降臨(倭奴国=天満倭国)
ウマシマデの東遷
後漢の光武帝金印を下賜
弥
生
中
期
弥
生
後
期
古
墳
前
期
1C
107
121
146
189
200
239
260
320
(漢)委奴国栄える
倭面上国王帥升生口献上
金銀錯嵌朱竜紋鉄鏡下賜か
④ 神武天皇即位邪馬台国創始
(秋津洲)
倭国大乱
卑弥呼共立
帯方郡(魏)に遣使
遠賀川流域に後漢式鏡
日本武尊「草薙剣」
神功皇后征西
天香山
耳成山
畝尾山
昭和十年の香春岳(倭三山)
※
この『神武紀』にある「日本は浦安の國」というのは、海が無い奈良県(大和)ではありえない。また、上図にあるように銅矛が全く出土していない奈良県は「細戈の千足る國」でもない。
下稗田遺跡のすずり
鋳造鉄斧
※ 立岩遺跡は、饒速日が建国した倭奴国の遺跡
※
この里程については、周理を用いている。
※
魏志倭人伝の「其國本亦以男子為王。住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子為王。名日卑彌呼。」にある初代の男王が、神武天皇である。
福永説では、神武東征(神武即位が西暦121年)は、卑弥呼の共立(西暦200年)より約80年前としている。
※
宮原遺跡の近くにあるこの前方後円墳型の地形は、倭国大乱時の「冢」か?としてきたが、神渟名川耳尊(綏靖天皇)の兄神八井耳命の陵?とした。
日本書紀によれば、「畝傍山の北に葬る」とあるので、ここは神武陵(おほきんさん)の近くに位置する。
また、宮原遺跡の箱式石棺から後漢式鏡(内行花文鏡)が出土しているが、現時点で香春町の記録では、この前方後円型地形からは、何も出土していない。埴輪も出土していない。後漢式鏡が出土していないので卑弥呼の時代以前の陵という可能性がある。
※
永初:後漢時代、西暦107年〜113年の元号
※
わが国とあるのは、「倭奴国」とした。西暦107年に倭面上国王帥升が、後漢の安帝に生口160人を献上したという記録である。
※
①桓・靈之末:後漢の皇帝、桓帝(146年〜168年)、靈帝(168年〜189年)
②建安中:後漢の時代、196年〜220年の元号。この時代に卑弥呼が共立させている。
③景初中:魏の時代、237年〜239年の元号
※
元の時代に編纂された『宋史』日本國(王年代紀)には、神武天皇の即位元年の干支が「甲寅」とあり日本書紀にある「辛酉」ではない。
福永説では、「甲寅」年(114年)に神武は、第一次東征に発した年であり、「辛酉」年(121年)に即位したとしている。
東大寺別当もつとめた奝然が、宋の太宗に献上したこの王年代紀にも神武天皇の次は、綏靖天皇(神渟名川耳尊)と書かれており、手研耳命は外されている。古くから歴代の天皇として数えられていない。
以上で、2020年度版 神武東征(漆)の本文編は終わりである。