「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 2020年版 神武東征(全7回シリーズ「肆」)

第二次神武東征(菟狹から彦山へ)

第二次東征
菟狹から彦山へ
一一八年春二月、第二次神武東征開始。「日を背にし
 て戦う神策」を実行に移す。
  日向から速吸門豊予海峡)に至り、珍彦を道案
 内とする。菟狹安心院妻垣神社)に至り、一柱騰
 宮
に入る。(日本書紀要約)
  数ヶ月、
 野嶽
求菩提
 山
)に通い、
 「大天狗
 (豊前坊)及
 び「八咫烏
 (求菩提山八
 天狗
)一族と
 同盟を結ぶ。
  この間、
 野の国樔(玖
 珠)
部らを巡
 撫。
 六月、
天皇獨り、皇子手研耳命と軍を帥ゐて進む。
 既にして皇師中洲に趣かんと欲す。」
求菩提山八天狗像(頭八咫烏)

頭八咫烏

求菩提山八天狗像

*1

:スライド内にある狹野嶽求菩提山括弧書きしている。その説明をしていく。

 

神武天皇御一代記御絵巻

Ⓒ橿原神宮

七 八咫烏先導を給はる

七 八咫烏先導を給はる

 

第二次東征
菟狹から彦山・求菩提山へ
 六月、天皇獨り、皇子手研(たぎし)(みみの)と軍を(ひき)ゐて進む。既にして皇師(みいくさ)(なかつ)(くに)(おもむ)かんと欲す。
 (しか)るに山の中嶮絶にして復た行くべき路無し。乃ち棲遑(しじま)ひて其の()(わた)る所を知らず。(かしら)八咫烏(やたのからす)有りて、空より翔け降る。
 天皇曰く、「此のの來ること、自づと()き夢に(かな)へり。大きなる哉、(さかり)なるかな。我が皇祖(みおや)天照大神、以ちて(もとい)(わざ)を助け成さんと欲せるか。」と。
 是の時に、大伴氏(おほとものうぢ)遠祖(とほつおや)日臣(ひのおみの)(みこと)(おほ)來目(くめ)(ひき)ゐて、元戎(おほつわもの)(いくさの)(きみ)として、山を()(みちわ)け行きて、乃ちの向ふ所を尋ね、仰ぎ視て之を追ふ。
 遂に狹野(さの)を越ゆ。
(日本書紀)

*2

:「山の中」とある名無し山は、彦山である。

*3

:古事記の原文は「八咫烏」であるが、日本書紀の原文では「八咫烏」と「」の一字が付いている。長年追究した結果、この「頭」を「かしら」と訳した。これは、豊前坊=大物主神だったと解った。

*4

:日本書紀のこの短い一文「狹野を越ゆ」の手がかりが次の『求菩提山縁起』にあった。

 

求菩提山縁起
求菩提山縁起

*5

求菩提山 は、人皇嶽とも狹野嶽とも呼ばれていた。日本書紀に神日本磐余彥尊(神武天皇)の年少時の名前が狹野尊だと書かれている。
狹野を越ゆ」の一文にある狹野は、求菩提山の事だった。求菩提山は、彦山の近くの山であるから、神武天皇は、菟狹から彦山を越えた事が解った。
 以下が、求菩提山縁起の訳です。

 

求菩提山縁起
 其の濫觴(らんしょう)を考ふるに最初人皇嶽と号す。
 (中略)
 或ひと説きて曰く、「天地開闢(かいびゃく)し、神代已に終る。
 神武天皇鋒端(ほうたん)を揺し、中国を平らげ、威奴の邪神(はら)はしめ、九州(おさ)めんとす。
 此の嶺に到りて天神地祇を斎祭(まつ)り、(つつし)みて(りょう)()を立てし所を狹野嶽と曰ふ。天皇の尊号の故なり。」云々
(訓読及び傍線は福永)
求菩提山 Ⓒ豊前市観光協会
求菩提山八天狗像(頭八咫烏)

頭八咫烏

求菩提山八天狗像

求菩提山

*6

:求菩提山で有名なのが、八天狗像である。八咫烏が、ここ求菩提山にいた事に気が付いた。その真ん中の像(大天狗)が、誰か? 日本書紀に書かれている八咫烏の「(かしら)」に当る豊前坊(大物主神)だ。
 神武天皇は、彦山の大物主神の子孫、求菩提山にいた八天狗(八咫烏)一族と同盟を結び、この山道を知る一族の案内で彦山から田川へ向かう。

 

第二次東征
吉野の国樔(玖珠)部らを巡撫
 是の後に、天皇、吉野の地を()たまはんと欲し、乃ち菟田(うだの)穿(うがちの)(むら)より、(みづか)ら輕兵を(ひき)ゐて巡り(いでま)す。
 吉野に至る時に、人有りて井の中より出でたり。光りて尾有り。天皇、問ひて曰く、「汝は何人ぞ」。(こた)へて曰さく、「臣は(これ)國神(くにつかみ)。名を井光(いひか)()ふ」。(これ)則ち吉野首部(よしののおびとら)始祖(はじめのおや)也。
 更に少し進めば、(また)尾有りて磐石(いは)(おしわ)け出づれば、天皇、問ひて曰く、「汝は何人ぞ」。對へて曰さく、「臣は是磐排別(いはおしわく)之子(のこ)」。此則ち吉野(よしのの)國樔部(くずら)始祖(はじめのおや)也。
 水に()ひて西に行くに及びて、(また)(やな)を作りて魚を取る者有り。天皇(すめらみこと)、問ひたまふ。對へて曰さく、「臣は是苞苴擔(にへもつ)之子(のこ)」。此則ち阿太養鸕部(あだのうかいら)が始祖也。

*7

:ここに書かれている吉野は、彦山の南側、大分県中津市山国町吉野である。

*8

:吉野の國樔(くず)は、現在の大分県の玖珠(くす)である。九州弁で「くず」の発音は「くじゅ」であり、玖珠の近くに九重町、九重(くじゅう)山もある。

 

神武天皇御一代記御絵巻

Ⓒ橿原神宮

九 吉野御巡幸と土豪の帰順

九 吉野御巡幸と土豪の帰順