「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『日本書紀』の箸墓 ~ 卑弥呼の墓赤村説 ~

※ 『日本書紀』の箸墓 ~卑弥呼の墓赤村説~
 (令和3年3月14日、邪馬台国講演会 邪馬台国は北部九州にあった、ビーポート甘木中ホール)より

 赤村の前方後円型地形が卑弥呼の墓説

<『日本書紀』の箸墓 ~卑弥呼の墓赤村説~(その5)「魏使、卑弥呼の墓」>

謎の巨大前方後円型地形

大阪大仙陵古墳と赤村内田古墳型地形との比較

・墳丘長480m

・墳丘長460m

謎の巨大前方後円型地形
謎の巨大前方後円型地形

発見された卑弥呼の墓のフラクタル性

小川 進*,谷口幸弥**,桜井貴子,福永晋三
  *空間技術研究所,**長崎大学,

 クニの形(仮定)

1. クニの領地=河川の流域界(山峰で囲まれた水系)

2. クニには平野を含む

3. 流域面積の1~5%農耕地(水田)

4. 1戸あたりの最小農耕地=1反(10a)=1石(コメ10俵)

5. 対馬国=対馬,一支国=壱岐,末盧国=唐津

大淀川流域図

遠賀川流域図

大和川流域図

 末盧国(福永説)から東南の流域

   河川名

流域面積km2

  嘉瀬川
 (南西1000里)

 
 

368

  筑後川
 (南900里)

 
 

2860

  矢部川
 (南1000里)

 
 

620

  球磨川
 (南1800里)

 
 

1880

  大淀川
 (南南東2300里)

 
 

2230

  遠賀川
 (東南500里)

 
 

1026

箸墓古墳

フラクタル次元

D=1.846

D=1.227

形状係数

f=2.57

 この時期には埴輪列はまだ存在して
いないが、宮内庁職員によって宮山型
特殊器台・特殊壺
、最古の埴輪である
都月型円筒埴輪などが採集されており、
これらが墳
丘上に置か
れていたこ
とは間違い
ない。
(ウィキ
ペディア)
奈良県箸墓は
     卑弥呼の墓ではない

DEMとフラクタル

フラクタル次元

D=1.859

D=1.249

形状係数

f=2.53

赤村内田の前方後円形地形

卑弥呼の古墳におけるUAVを用いた3次元解析

谷口幸弥,小川進,桜井貴子,福永晋三

現在,卑弥呼の墓とされる箸墓古墳

箸墓古墳

箸墓(はしはか)古墳(纏向(まきむく)遺跡)

(理由の1つ)

『魏志倭人伝』にある
卑弥呼の古墳の特徴と一致

後円直径百余歩
(径150m程度)

(問題点)

副葬品、年代測定

福岡県田川郡赤村にある「古墳型地形」

赤村内田の前方後円形地形

全長が450mと最大級(仁徳陵に匹敵)
円部の直径が150mとなり,魏志倭人伝に一致

調査方法

円墳部分

人工物である可能性

等高線図

傾斜方向

結 論

1.考古学遺物に対して,UAVによる3次元撮影を実行し,考古調査の
 可能性を確認した.空間解像度15mm~22㎜であった.
2.「卑弥呼の墓」は,全長443m,円形部径152m,同高さ22m,方
 形部長辺230m,同高さ33mであり、仁徳陵に匹敵し,卑弥呼の墓と
 される箸墓古墳(全長278m)をはるかにしのぐ.古墳群も纏向遺跡
 (6古墳)を超える.

3.今後の発掘調査にあたり,遺物の年代推定と副葬品により,「卑弥
 呼の墓」である可能性が確認されるであろう.

4.邪馬台国であるとすれば,田川の広大な農耕地の存在が古墳群とと
 もに,規模の推定に重要であろう.

 おわりに(卑弥呼の死後)  に続く ・・・ 「夜摩苔波」の「苔」は「と」と読む
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 ⇒ 「邪馬台国」は「やまと国」と読むべき