「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ 『日本書紀』の箸墓 ~卑弥呼の墓赤村説~
 (令和3年3月14日、邪馬台国講演会 邪馬台国は北部九州にあった、ビーポート甘木中ホール)より

 『日本書紀』の箸墓 ~ 卑弥呼の墓赤村説 ~

「赤村内田の前方後円墳型地形」
「魏志倭人伝」原文一部
邪馬台国講演会
  邪馬台国は北部九州にあった
令和3年3月14日(
ビーポート甘木中ホール
主催:甘木文化連合会
担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部
   神功皇后紀を読む会 主宰 福永晋三
『日本書紀』の箸墓
   ~ 卑弥呼の墓赤村説

本ページは、講演時のスライドのみを表示しています。尚、講演時の説明は、YouTube動画よりご視聴下さい。

<『日本書紀』の箸墓 ~卑弥呼の墓赤村説~(その1)「隋書俀国伝、魏志倭人伝」>

戦後史学からの脱却!& 倭国 = 豊国説‼

① GHQの占領政策(「神を語るな」)から解放こと。
② 戦後史学の「邪馬台国畿内説」や「大和王朝近畿発祥説」から解放
 されること。
筑豊・田川の神々を尊重し、筑豊の古伝承を大切にすること。
筑豊の人々が自分と自分の土地の遺跡に自信と誇りを取り戻すこと。
筑豊が元気になれば、古代史が正しい姿に戻る!

倭国=豊国説・邪馬台国田川説(福永説) 
 ① 記紀は豊国中心の史書(倭国~日本国の歴史)
 ② 英彦山から沖ノ島までの遠賀川流域こそ倭国(邪馬臺国)
 武・卑弥呼・神功・天智豊国側の王
 倭の五王阿毎多利思比孤(日出処天子)・天武筑紫側の王
 壬申の乱豊国での戦い
 平城京桂川町にあった → 延暦三年(784)長岡京に遷都

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飛鳥時代の倭国首都圏地図
 法興元(591)年~白鳳元(661)年
 天物部氏(遠賀団)筑紫側に就く
倭国地図(倭国本朝、倭国東朝)

 隋書俀(倭)国伝(抄録)  ・・・ 邪馬臺(台)国の位置を確認する

・隋書俀(倭)国伝(抄録)
・魏志倭人伝は誤字だらけ
  邪馬壹國こそなかった
・魏志倭人伝と日本書紀
  ※ 臺・台(万葉仮名)→ト、※ 仮借
・隋書琉球國伝(抄録)

 倭国本朝と倭国東朝  ・・・ 阿毎多利思比孤・推古天皇~白村江の戦い

・『隋書』と『推古紀』の遣使記事
・日出処天子と推古天皇と裴(世)清
・阿毎多利思比孤と豊御食炊屋姫天皇(推古天皇)の崩御
・皇極天皇紀の倭国本朝と倭国東朝の京師
・孝徳・斉明・天智紀の倭国本朝と倭国東朝(福永説)
・白村江の戦い
・御笠団と遠賀団

 白村江戦戦後処理~壬申の乱  ・・・ 壬申の乱に勝利した天武天皇が修史を企図し成立した日本書紀

・白村江戦戦後処理
・中臣氏の神事と六月晦大祓
・日本国の建国 → 壬申の大乱
・日本国首都圏地図
・壬申の乱~天武天皇崩御
・壬申の大乱 箸陵の下の決戦
・日本書紀の成立(福永説)

 神代の倭国(豊国)と鷹羽の神々  ・・・ 天武天皇が鷹羽の神々を隠した

・田川の語源は鷹羽 天武が隠した鷹羽の神々
・弥生時代の実年代
・神代の倭人の記録
・卑弥呼の時代の東アジア
・神代の倭人の居住地
・神代~神功の豊国 『宋史』日本國(王年代紀)
・彦御山宝印-天御中主 『古事記』別天神五柱
・弥生時代の倭国=豊国の歴史
・倭成す大物主ー日子山の起源
・倭国の始まり-倭成す大物主
・英彦山豊前坊高住(鷹巣)神社 豊日別国魂神=大穴牟遅神
・鷹羽の神々の正体

 伊弉諾尊~神武第一次東征  ・・・ 弥生前期~弥生中期の王朝交替

・最初の王朝交替(おのころ島の発見)
・弥生中期 銅剣の時代
・古遠賀湾沿岸の最古の稲作
・下稗田遺跡の硯と鉄器、下稗田遺跡の石器
・天満倭国=倭奴國の成立(前14年)
・天満倭国=倭奴國の成立(①鉄製品を造った国家)
・倭奴国と楽浪郡の里程
・万葉仮名「都」(日本国語大辞典)、(古事記上巻 忍穂耳命と邇々芸命 天孫降臨)
・倭人は周里を用いた
・天満倭国=倭奴國の成立(②墨で漢字を書く国家)
・五七年の倭奴国王
・邪馬臺国の成立
  神武東征前史(彦瀲尊まで)
・『魏略』中の火国の記録
・神武東征前史(彦瀲尊まで)茂賀浦、吾平山
・第一次神武東征(鉄を求めて)日向→筑紫→豊国
・免田式土器の分布

 神武第二次東征~倭国大乱  ・・・ 倭奴国が滅亡し、邪馬臺(やまと)国成立

・第二次神武東征
・倭奴国滅亡し、邪馬臺国成立
・立岩遺跡(倭奴国の遺跡)
・弥生時代の絹
・『求菩提山縁起』 倭奴国の読み方
  犬ヶ岳
・邪馬臺国の成立(古事記)
・鞍手郡誌の東征コース
  神武、筑紫に凱旋
・魏志倭人伝中の後漢代の記録
・卑弥呼の時代の東アジア
・倭国大乱時の「冢」か(香春町宮原遺跡)

 卑弥呼共立~卑弥呼の死  ・・・ 末盧國が宗像であるなら邪馬臺国は田川になる

・邪馬臺国のその後
・卑弥呼と呉・魏両国との関係
・帯方郡から倭・女王國に
・對馬國、一支國
・末盧國はどこか 福永説
・伊都国へ 東南陸行五百里、剣岳城
・卑弥呼の鏡=内行花文鏡
・倭国と東鯷国
・邪馬臺国のその後
  『魏志』「卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」
  倭迹迹日百襲姫命の箸墓が卑弥呼の墓

 赤村の前方後円型地形が卑弥呼の墓説  ・・・ 前方後円型地形は、人工物

・謎の巨大前方後円型地形
・発見された卑弥呼の墓のフラクタル性
  クニの形(仮定)
  末盧国(福永説)から東南の流域
  箸墓古墳
   奈良県箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない
  DEMとフラクタル
・卑弥呼の古墳におけるUAVを用いた3次元解析
  現在,卑弥呼の墓とされる箸墓古墳
  福岡県田川郡赤村にある「古墳型地形」
   調査方法、円墳部分、等高線図、傾斜方向
・結論

 おわりに

倭建命天皇倭国防衛戦
 故、爾くして御合して、其の御刀(みはかし)草那藝の
を以ちて、其の美夜受比賣の許に置きて、()
服岐能(ふきの)(やま)の神を取りに幸行しき。
(伊吹山の神に敗れる)
 其より幸行して、能煩野(のぼの)に到りし時に國を思
ひて以ちて歌ひて曰く、
 (夜麻)は 國のまほろば たたなづく
 青垣 山ごもれる しうるはし
「夜摩波 區珥能摩倍邏摩 多多儺豆久
 阿烏伽枳 夜摩許莽例屢 夜摩之于屢破試」
景行天皇紀十七年)
 また歌ひて曰く、
 命の 全けむ人は 畳薦 平群(へぐり)の山の
 熊樫が葉を 髻華(うず)に挿せ その子
 此の歌は思國歌(くにしのひうた)なり。
『古事記 景行天皇記』
は 国の真秀 畳な付く
  青垣 山隠れる し愛はし
 卑弥呼日本武尊狗奴国の圧倒的な「鉄鏃の
千羽矢降る戦術
」の前に敗れ去った。
 弥生の鉄鏃の物語了。
上空からの写真「遠賀川下流域」